悟り

ある日個人が爆破する

自我の終焉

頭が良い人とは記憶力が大きい人のことでバンバン知識が積み上がっていきます、、知識が積み上がっていくのですが同時にこの個人としての経験もしっかりと記憶されていってしまうことにより、、この個人という存在が爆発的に大きくなっていきます、、、これが苦しみを生み出すのですが、、、時すでに遅し、、個人としての経験の全てが確実に記憶されていきますから、、個人がバンバン大きくなっていくのです。ゴム風船のように風船が徐々に徐々に大きくなっていき、、苦しみが同時に大きくなっていき、、、どこかでぶっ壊れるのです。。。このぶっ壊れるのが病気として体に出たり、、覚醒体験だったり、、、悟りへの衝動につながります。

自我という生命保持機能

自我とは生命保持機能です、、この体を守るために脳が編み出した究極の装置、、この装置は、、この体の保持に大変有効です。。。ですがこの自我は記憶に頼るがゆえに、、記憶が増えますと、、、自我が大きく大きく膨らんでいきます、、、つまり強固になっていきます、、、体を保持するための自我が、、自我を信じるがゆえに、、体が辛い状態にまでなってしまう、、、本末転倒、、、よって、、どこかでこの自己、自我、個人は実は存在していなくて便宜上形成したものだという理解が必要になるのです。

悟りとは個人の精神的抹殺

個人を抹殺する

悟りとは個人の精神的抹殺です、、、、個人がこの体の中に居るという思考、感覚を抹殺します。個人という存在が形成されたメカニズムを解説し、、個人が在るという思考が二度と出てこないようにすることです。天動説を真剣に信じ込んできた個人に、、地動説を解き、、、その個人が完全な理解を示した時に、、、それでも天動説を信じようという思考の動きが消えます。。。これが悟りです。個人の不在を完全に理解することです。

どのようにして個人が築きあげられたか

個人という存在が確立することを自我が形成されると言います、、まさにその通り、、、元々人間には自我が存在しないのです、、徐々に徐々に自我が形成されるように周囲からの声かけ、学習が行われるのです、、、「水泳で一番を取った私、、テストで0点を取った私、学校で人気者になった私」という記憶の全てがその個人を強固にしていき、、その記憶の全てが、、、価値観になっていくのです。

自我の形成を俯瞰すれば、、、俯瞰する存在が真我

自我の形成がなぜ起きるかといえば、、生命維持にとって有効だからです。。。先ず自分の名前が言えなければ就職できませんから、、食べていけない、、、、この体の中には名前があって、、その名前を意味する、、アイデンティティー、自己が存在するという思考を築くのです。すっかりと自分という存在がこの体の中に居るという思考、感覚が馴染みますと、、、この体の中の自分というストーリーがそこから展開していきます。この体が感じる全てをこの個人の経験として蓄積していくのです、、この記憶が個人を確定的なものにし、、年齢を重ねれば重ねるほどに、、、記憶、個人は大きく膨らんでいくのです。その膨らみは同時に苦しみの膨らみになりますから、、、どこかで弾け飛ぶか、、、悟りへの理解に進むのです。

その人の価値観を否定する無駄

その人の価値観はその人の経験が作った

価値観を選ぶことは不可能です、、戦争を経験すればその経験が価値観を作ります、、、震災を経験すればその経験が価値観を作ります、、、多くの方はどこかに完全なる価値観が落ちているのではないか???と真剣に真剣に探したりしますがその行為が無駄なのは、、、価値観は経験からしか形成されないということです。そして究極の価値観、完璧な価値観がもしもあるのならば、、、人類はとうの昔にそれを発見し、、、、それを世界憲法として共有するはずなのです、、、それが今もないのは究極の価値観が存在しないからです。。

究極の価値観が存在しないならば、、、

探求者とは究極の価値観が絶対にあるはずだ、、、ということで本屋やあらゆる宗教、、ヨガ、禅、、、などを片っ端から制覇していく輩のことです。ところが究極の価値観は絶対にないので、、途中で夢破れ諦め、、、どうでもいいや、、、という究極の心境に至るのです。。。この「どうでもいいや」こそがサレンダー、降参を引き起こし、、、悟りが起きる場合もあります。。悟りとは究極のどうでもいいやだからです。

病気になるか悟りを開くか

究極の価値観を探してもどこにも存在せず、個人はあらゆる模索の旅にでるわけですがこの経験がさらに独自の価値観を作り続けていきます。。。新しい価値観はどこにあるのだという模索の旅が経験を作り価値観を強化していきます。。。そしてその価値観がさらに個人という存在を強化する、、、この強化が最大規模の強化になった時に「苦しい」が最大級になり、、、病気になるか悟りを急激に求めるようになるのです。

個人という存在の不在は、、価値観崩壊の核爆弾

個人が実は居ない、、、この事実を個人が絶対的に嫌うのは、、、そんなことを認めてしまったら、、これまでの価値観、個人が居るという前提の価値観が、、、大撃破、崩壊、粉砕するからです。。。。価値観を全部壊される、、、これが悟りの本性であり、、それゆえ悟りは多くの個人から嫌われ、拒絶され、、虐殺されるのです。その人の全経験、全価値観、全観念を木っ端微塵にぶち壊すのです。

現実主義者とは夢中毒者

現実主義とは??

現実主義とは、、、思想や信念、思いよりも現実に重きを置くことです、、、現実に重きを置く、、、つべこべ言わずに結果を出してしまう、、そんなことです、、、この夢の世界で現実主義になるということは夢に重きを置くことであり、、夢にどっぷりと浸かることでもあります、、、、ですがこの夢の中で結果を出し続け、、、それでも幸福にならないという現実に突き当たった時に、、、人は悟りの準備を始めるのです。

現実主義者は観念がガンガン書き変わっていく

現実主義者は、、、結果を追い求めていきますから、、、この夢の中でもがくことになります、、、本当に結果を出そうとすれば思考にふけっていることができない、、結果、、あらゆる経験を重ねていくことになります、、するとその記憶の全てが価値観を強化していくことになり、、、価値観がこの自分、自我という大勘違いをも強化します。。価値観とはこの体の中に自分が存在しているという大前提で生まれるケースが全てだからです。ということで価値観が積み重なっていき、、、この個人ありきの人生が重く重くのしかかってくるのです。

最後の観念

そして人は最後の観念に突き当たります、、、それはこの体の中には自分が居なかったという観念です、、そしてこの現実だと思っていた世界が実は夢で、、その夢を見ている存在こそが自分だったという観念です。ただしこの二つの観念は個人が居るという大前提のこれまでの観念の全てをぶっ壊します。天動説から地動説に変わった時に、、これまでの天文学が全部壊れました。。それです、それが今ここで起きるのです。

個人としての経験が観念を作る

勘違いが強化されていく

個人としての経験の全ては記憶されて、、その人の観念、価値観に強化されていきます、、、例えば、、、人から何回もスリにあった人は、、、人は信用できないという価値観が強化されていきます、、、この価値観は人生が長く長くなっていけばいくほどに、、、強固になり、、、その価値観がこの個人という存在を絶対的にしていきます。。すると何をしても苦しい、何を達成しても苦しい、、と無間地獄に入っていくのです。状況が苦しいのではありません、、この個人としての価値観の強化が苦しみを圧倒的に作るのです。

個人が圧倒的になっていく

個人が居るというのは完璧な勘違いですがその勘違いを元にした経験の全てがデータとして蓄積されることで、、、価値観になり、信念になり、、、その価値観を照らし出した経験をさらにしていくことになるのです。個別の体験が自動的に作り出されていきます、、、、人は必ず裏切ると信じている人は、、、、裏切りそうな人に視点がフォーカスされそのような出会いを続けていきます、、、どのような価値観をその人が形成しようと、、この個人を強化することには変わりはなく、、これが苦しみを生み出すのです、、、価値観の差異はここではどうでもいいのです。

全ては「苦しい」に向かっていく

人が歳を重ねると悟りや仏教、禅などに興味がでてくるのは価値観の形成、価値観の強化に伴い、、個人が居るという価値観が圧倒的に強くなっていき苦しさが押し寄せてくるからです。中年のうつ病などはまさにそれで、、苦しいから逃れられない心の叫びを、、禅や仏教に求めるのです。個人といての経験の全てが苦しみを生み出します。。私の価値観は非常にポジティブだ、、、関係ありません、、、価値観の強化こそが大勘違いを強化するのです、、、全ては目覚めに向かっています、、、全員がテトリスのブロックを積み上げ、、必ずゲームオーバー、、究極の諦めに到達するようにできています。

大人とはこの夢を現実だと信じる人たち

大人になる

大人というのは、、、この夢を現実だと信じて生きる人たちです、、それだけ、、、子供とはこれは夢だと見抜いている人たちです、、、、子供から大人になるとは、、、夢を現実と勘違いすることです、、、、悟りとは再びこれは夢だったという気づきが起こることです、、、この体は夢の中の登場人物に過ぎない、、、たったこれだけ、、、、神、大いなる一つ、ユニティー、ワンネス、、、、言葉で出てくる偉大らしき存在の数々、、、なんのことはない、、、、、この夢を見ているこの私のこと、、、という大オチ、ギャグ、残念な結末、、、

こんな簡単なトリック

簡単すぎる、、、これが夢だった、、、集団洗脳、、、これは現実ですよ、、、という集団洗脳、、、騙された、、まんまと騙された、、、、、、この目の前の視界以外、、、何も起きていない、、夢だから、、、、さっきまで一緒に遊んでいた友人は、、、家に帰れば存在していなかった、、、騙された、、、こんな簡単なトリックに、、、やられた、、、

夢は完璧

この夢は完璧なのです、、、本当は家に帰ればクラスメイトは存在していないのに、、、次の日に学校で会えば、、、一人一人が家での活動を教えてくれる、、、この夢で、、、、完璧すぎる、、、これでは騙される、、、試しにこっそり一人の友人の家に押し掛ければ、、、ちゃんとそこに居る、、。騙される、、、この夢は完璧過ぎて騙されます、、、、集団催眠に全員でかかっている、、、

完璧な悟り

完璧な悟りとは?

完璧な悟りとは、、、これが夢だという完璧な理解です、、、これが夢だと思って生活をしてみてください、、、大真面目に全てが分かってきます、、、、ネットニュースでは様々な事件が毎日起こっていると伝えられますが、、、、本当はこの目の前以外何も起こっていないのでは????確かにそうだ、、、起きた証拠が全くない、、、、つまりニュースなど見ようが見まいが、、、この目の前以外何も起きていない、、本当は、、、

今あなたの肝臓が動いている証拠がない

病院に行って検査を受ければ、、肝臓の働きを証明するデータはもらえるはずです、、、ですが今この瞬間に肝臓が動いているという保証がない、、そうです、、動いていないし、、存在すらしていない、、、これは夢です。。田舎に住んでいるはずに両親、、、本当に住んでいるという証拠がない、、今この瞬間に、、、、勿論電話をかければ生存確認はできます、、ですが今この瞬間に生きているという証拠がない、、、夢です、、

中学生時代の同級生達

中学校時代の同級生達は今何をしているんだろう????これは夢です、、、いまこの目の前に居ないのならば、、居ないんです。。。確かに、、、今この瞬間に、、、生きて活動している、、、という証拠がない、、勿論、、、、フェイスブックなどをやれば、、、、データーは出てくるでしょう、、、データーが、、、そしてそこにメッセージを送れば、、返信があるでしょう、、、ですが、、、今この瞬間に生存しているという証拠がないのです、、、、これは夢です、、

言葉を超えた世界

これは言葉を超越する

我々は言葉を覚えることで便利な生活をしています、、ですが言葉を覚えることで概念の世界に閉じ込められました。。言葉を信じすぎることで、、言葉で全部を理解できると本気で信じてます、、ですが真実は言葉を超えた世界です、、、言葉では理解ができない世界であるという理解が必要になります、、、言葉はあくまでも真実を指し示す指でしかない、、

コーヒの味を言葉で説明する

コーヒーの味を言葉で説明します、、、限界がる、、不可能、、、宇宙人にコーヒーの味を聞かれても、、、不可能、、完璧な説明は無理、、、です。真実もまさにそう、、言葉では説明ができない世界、、、だからコーヒーの説明を聞くよりも飲む方が早い、、、体験、実践が最重要、、、

悟りを実践?

悟りを感じるには?実践することです、確認することです、、これは夢ですよ、、、本当に夢か確認します、、夢と同じ仕組みになっているか確認します、、これが夢ならば、、、鳥の声を聞いているのは、、この体ではない、、、確かにそうだ!!!この体が聞いているという証拠がない、、味わっているのは夢を見ている存在だ、、確かにそうだ、、、この夢を見ている自分が、、味わっているとしても何も矛盾がない、、、友人の話を聞いているのはこの夢を見ている自分だ、、、、確かに、、そう言われても反論できない、、、

敵も味方も、、

この夢の中では、、、

この夢の中では敵も味方も登場します、、、周囲全員が敵になることもあれば、、周囲全体が見方になることも、、、夢の展開は全く予想が立たず、、、、だからこそ今味方に囲まれていても先が見えず苦しい、、今敵に囲まれていてもいつかは変わる、、このように生きています、、、いつになったら本当の安心が来るのか????来ません。。そして来ないことを分かっている、、どこかで。どんなに味方に囲まれても、、その状況も飽きる、、が湧いてきたりする、、もう手に負えない、、、正解がない、、、

夢だと気づく。。

なぜこの現実の世界では本当の幸福は手に入らないのか???疑問、、、何かがおかしい、、、ほどほどの幸福でいい、、そう考えても、、そのほどほどの幸福が一番難しい、、、生きるとはこんなもんだよ、、、で満足出来る人はそれでいいのです、、ですがそれができない人もいる、、、、そのような人に悟り、ノンデュアリティのメッセージは刺さります、、これは実は夢、、、夢を見ている自分がこの体の中に居るという誤解がこの苦しみを作っている。

それならば全部腑に落ちる

なぜ2歳、3歳、4歳ぐらいまでは全く不安なく、、楽しく生きていたのに、、、なぜ小学校に進むころから、、苦しみが湧き始めるのか???やっと納得できる答えが手に入ります、、、何も成し遂げていなかった幼少期が一番幸福だった、、、だか今何かを成し遂げようという試みは無駄に終わる気がする、、その通りです。この夢を現実だと思い込むようになってから苦しみが湧き始めたのです、、この体の中に自分が居て現実社会を生きていると固く信じるようになって苦しくなったのです。本当はこれは夢でこの私は夢を見ている存在、、この体の中に居るのではなく、、、この体を使った夢を見ているだけ。。

夢の中でこの体を体験してるだけ

幼少期はこの体の中に自分が居るとは思っていなかったのです、、全部が自分、、物も植物も、何もかもが、、要は悟った状態です、、、ところが、、、この体には名前が付けられ、、あなたは〇〇だと学習させられ、、この夢を〇〇として生きていくように指導され、、いつ間にか、、これは現実で、、〇〇を生かすためには勉強をしなくてはならないとなり、、徐々に苦しくなったのです。本当の自分とは今夢を見ている存在です。この体の中には居ません。

人格者になれば、、

霊的進化も何もかも

この夢の世界で物理的欲求を満たせば幸福になれるという試みは完全に打ち砕かれます、、欲しいものを手にした瞬間だけが幸福になり次の瞬間にはもう元に戻ります、、これを何度も繰り返すうちに人は物理的欲求ではなく、精神的欲求を追い求めるようになります、、地位名誉称賛などです、、ですがこの試みも完全に打ちのめされ、、次は霊的進化、人格者の道に入っていくのです、、ここまで辿り着く人は稀です、、、ですがこの道も全くもって不毛な戦い、、辿り着くゴールなどない、、、となるのです、、、

何かを成し遂げるではない

何かを成し遂げるという試みは全部打破され、、ほとほと困ったときに悟りのメッセージが響くようになります、、個人の達成では何もなし得ない、個人は不在である、、これは夢である、、今この瞬間しかない、、これらのメッセージは達成達成を試みてきた人々に届きます、、何かここに最後のチャンスがあるのでは、、、もう山を登りたくはない、、、です。

実はこれが夢

この現実の世界で、、という大前提が間違っていた、、これは完全な夢、、そしてこの夢を見ているのは誰???この私、、、そしてこの体の中に居るつもりだった私は、、実は夢を見ている存在だったというシフトチェンジ、、だとすると、、、この体はただの乗り物、、そして周囲の人間もただの乗り物、、何一つ深刻な事件はなく、、ただ淡々と夢が展開していく世界、、、ここが私のいる場所、、、、という気づきが起き始めるのです。