思考の住人VSリアリスト

争いになれない

思考の住人は争いをふっかけ、、、、なんでこんなことしたんだ???なぜ?????と責め立ててきます。その行動に原因があるはずだと責め立ててきます。。。しかしリアリストは、、、そのストーリーには乗りません。それはただ起こったから、それが起こった、その行動がたまたま起こった、、で終わりです。思考の住人は落ち込ませ、後悔させ、、思考の中で戦おうとしてきますが、、リアリストは、、思考の中には入らないのです。

思考の中での戦いに持ち込む

思考の住人は思考というホームの中での戦いに持ち込もうとするでしょう、、、本人が「被害者」を演じこちらを「加害者」にしてこの存在を知らしめようとします。ですがこれが既に思考に導く罠なのです。本当はそのような人格など、、リアルな世界には存在しません、、ここから離れることで苦しみが起こっているだけなのです。

人格否定

争いのほとんどは「人格否定」ですがその人格がリアルな世界には存在しないのです。人格とは空想上の幻想です、、これがまさにあるかのような戦いは、、空想に持ち込むテクニックなのです。真実の世界には存在しないのですから空想戦に持ち込むほかないのです。リアリストはその手には乗りません、人格否定争いに乗らないのです。つまり真実ではないメッセージを無視します。

呼吸法

思考の住人からリアリストに変化するには、、、思考に意識が意識している状態を脱しなければなりません。意識が思考ではなく体全体に意識するとき、、、自動思考が終わります。思考とはこのリアルな世界に幻想を生み出す機械ですからこれを止めない限り思考の住人を脱することはできません。呼吸に意識を常に向けることで思考に意識が集まっていたメカニズムをその場でそれを壊します。思考に意識が意識できなくなったとき、、ここがリアルな世界に戻るのです。

覚者が解放を語りたがらない理由

周囲はストーリーを聞きたがる

どのタイミング、何をやって、どういう状態で解放が起きたんですか?????悟り本、ノンデュアリティスピーカーにまつわるエピソードでここがもっとも注目トピックです。質問者の多くがここが知りたい!第定番です。ですが、、覚者はこの質問にウンザリした顔をします。なぜでしょうか??????それは多くの人はエピソード、ストーリーを聞きたがるからです。ところが見かけ上の覚者が気づいたことは、、ストーリー、私が思考が作り出した幻想だった、、、という気づきです。ストーリー上の何かの要因がそれを起こしたのではなく、、ストーリーそのものが幻想だったっという気づきなんです。

マリオに何を聞く????

見かけ上覚者になったマリオに、、、質問者が聞きます、、、クッパを倒したその瞬間に悟りが起こったんですか????第7ステージで何度もドラム缶から落ちたときに悟りが起こったと聞きましたがなぜなんでしょうか????マリオはある時、、確かにこの画像が全てゲームで、、このマリオも画像に過ぎないことに気づきました。時間も空間も実はゲーム上のことだったと、、その気づきと、、クッパ、ノコノコ、、第何ステージ、、、とかあまり関係ないんです。

そうか!!クッパを倒せばいいんだな!

マリオがたまたまクッパを倒し切ったとき悟りが起こったと聞けば、、多くの方は、、、、よし私もクッパを倒して悟りを開こう!となります。ですが状況は実は悟りとは何も関係がないんです。ゲームがゲームに気づくタイミングって千差万別過ぎるんです、、、全状況によって異なるはずです。だからそこはあまり重要ではないんです。しかも気づくのはマリオじゃないんです、、マリオこそが画像に過ぎないという気づきですから。

呼吸法

呼吸法とはマリオというキャラの脱皮です、、ゲームの中から抜け出す方法です。呼吸法で思考、マトリックスの世界から飛び出します。思考に意識が意識している状態から意識が思考ではなく体に意識するように誘います。視界がはっきりと変わるまでこれを行うとき、、、マリオを通じた世界ではなく、、世界が世界を認識するようになります。世界がコーヒーを味わい世界がコーヒーの香りを感じます。そこにはもうマリオが居ないんです。

今と過去未来は次元が違う

今は今

過去現在未来、、この言葉が三つ並ぶことで、、、この三つは一直線上にあるかのように感じますが実は全く異なるものです。過去未来を実際に見た人はいないでしょう、、、現在を見ることはできますね!過去や未来は今(現在)に思い浮かぶことで現れる現象です。過去と未来は今がなけれな存在できないのです。一方現在は過去や未来がなくても存在できます、過去という記憶が飛んでも今は存続できます。過去と未来は現在の産物であり思考です。

自分も今には存続できない

記憶喪失になると「自分」が飛びます、、、現在に「自分」が居なくなるのです。自分とは過去の中にしか存在しません。今自分を思い浮かべることはできます、、ですがそのためには過去の記憶が必要になるのです。記憶が飛ぶと存続できない「自分」とは思考が作り上げた産物です。では現在に起こることは何か???体験だけです、「自分」不在の体験だけが起こります。

過去を振り返る、未来を想像する

今できることは過去を今振り返る、未来を今想像する、、これができます。過去を今作り出し、未来を今作り出すのです。今とは過去未来製造の場です。そして今は全経験の場です。今とは全現象、全経験を生み出す場なのです。今から全現象、全経験を全消去しますと何が残るのか?????全現象、全経験を生み出すスペースが残ります。これが我々の本質、空です。

呼吸法でこれに気づく

上記のことを頭で理解しようとしても頭の中のマトリックスの世界に閉じ込められます。それを理解しようとすることで「益々」思考優位になるからです。つまりマトリックス優位になるのです。ではこれらを簡単に理解したらあとはどうするか?????実践です、マトリックスから抜け出す実践です、、思考の罠から呼吸法で抜け出します。思考を使って抜けるのではなく呼吸法という実践で抜け出すのです。

全てのラベルを剥がす

今ここで

いまここで全てのラベルを剥がします、目の前のPC、この名前を剥がします。目の前のテーブル、これをラベルを剥がします。目の前の椅子、目の前の机、目の前の携帯電話、目の前の、、、、、そしてこの部屋、、そしてこの私、、、全部を剥がしてみます。。。するといったい何が残るでしょうか????動きのある動きのない何かでしょう、、それが残ります。これが本当の私です。

では

動きのある動きのない何か、、これが本当の私として、、、それに気づいている存在は誰でしょう???動きのある動きのない本当の私の存在に気づいてうるのは誰でしょうか????「動きのある動きのない何か」ではない者です。動きのある動きのない何かを現象と表現するならば現象ではないもの、、「非現象」これが現象に気づきます。

色と空は一つ

現象を色、非現象を空と仏教では言います。色に気づく空となりますが、、実際には空には気づくという動きは起こりません。空があるから色に気づくが色の中で起こるのです。非現象があるから「現象に気づく」が現象の中で起こるのです。

思考の住民

思考の中に住んでいる

これは見かけ上の話ですが、、多くの方は思考の中に住んでいるように見えます。生きているけど、、住んでいる場所が思考の中なんです。いまここには居ない、、現実的には居ないことは不可能なんですが、、意識が思考に向けられているのです。見かけ上ですが。意識が思考に向けられていますと、、思考は幻想をその場で作り出し、、「私」も当然に作ります。つまり思考の中で私をやっているのです。

リアリティ

いまここが究極のリアリティであり、、ここは真の安らぎの場所です。ですがここにある真の安らぎには目を向けず、、思考の中の私が、、次の何かに向かって常に突き進んでます。そして突き進む目的はこの真の安らぎなのです。ですがいまここにある真の安らぎを思考の中の「私」は見つけることはできません。なぜならば「私」は思考の住人だからです。

思考から意識を抜く

意識とは本当はそのままで意識なのですが、、その意識がある特定の場所に意識することができます。意識が人間の思考に意識しますと、、思考がグルグルと湧き続けます。この思考が沸き続ける状態が思考の住人を生み出します。意識を思考ではなくいまここに向けますと、、真の安らぎを発見できます。呼吸法や瞑想で意識を思考から外すトレーニングをしますとその感覚が掴めるようになります。

ノンデュアリティすらも思考の餌に

本当は誰もいない?????

ノンデュアリティメッセージ、悟り系のメッセージは難解です。そのためこれを聞いた本人は何度もそれを思考の中で捏ねくり回し理解しようと頑張ります。ですが思考でこれを理解しようにも全く意味が分からない、、、そこで数学の問題を解くように次の人生課題にされてしまうのです。思考の世界、マトリックスの世界での餌にされてしまう可能性すらあります。

ノンデュアリティをイメージする?????

ノンデュアリティとはイメージできる世界ではないんです、、、全てのイメージが消え去った時に現れるのがノンデュアリティです。だから今からノンデュアリティをイメージしましょう!!!というのはおかしなことなのです。ですが本を読めば誰でもノンデュアリティってこんな感じだろうか???あんな感じだろうか????となります。ノンデュアリティをイメージするって不可能です、、、イメージは全て嘘ですよ!!というのがノンデュアリティです。

呼吸法

悟り本、ノンデュアリティ関連を書籍を読む時は言葉で読むのですからイメージするしかありません。言葉とはイメージを作りだす道具です。ですからこれはどうしようもない、、、ですがよく分からないからひたすらにさらに読むではイメージの世界から抜け出すことができないんです。イメージがある程度湧いたならば、、、次は実践です。イメージを落とす実践です。それが呼吸法や瞑想法になります。

疲れない

呼吸法を毎日続けると

呼吸法を毎日続けますと疲れなくなります。頭に意識が生き続けストレス物質を量産していた時期に比べると全くストレス物質が出ない状態になります。頭に意識が行く、思考量産、ストレス量産です。この流れをぶった切ります。腹に常に意識が行く、、思考、雑念が全く量産されない、、結果ストレスが全くでない、、となるのです。人間は活動するとストレスが溜まると信じていますがこれは頭を使って生きている、思考を使って生きているからです。

ストレスが出ない=疲れない

人間て基本疲れますよね????とんでもない話です、、疲れません、、、人間の頭に意識が登り続けると疲れるんです。だから呼吸法で強制的に下腹部に意識を向けます。これによって思考湧き出しモードが崩れ、下腹部安定モードにシフトチェンジします。思考が湧き出している期間、ひたすらに思考が湧きそれを全体、神が読み込みます。この読み込みによってイメージが湧き続け、、、イメージの世界に住うことになるのです。このイメージの世界は緊張感、孤独感を伴い疲弊します。

思考の流れをシャットアウト

思考の流れを完全シャットアウトします。たったこれだけで疲れなくなります、、仕事をすると疲れるのは無意識モード、思考モード、雑念湧き出しモードに入っているからです。この流れをいつも作らないように呼吸に意識を向けます。そんなことをしたら考えられなくなるんじゃないですか????違うんです、いつも考え続けて疲弊しているんです。この疲弊のリズムを断つんです。

狂う雑念

右手で何かを掴むまでは

雑念から焦点を外そうとしますと狂ったような抵抗にあいます、見事なまでの抵抗です。意識はこの思考に意識を集中させてこの体を生き伸ばせてきましたから、、勝手に思考から手を離すなどするわけがありません。この体のセーフティーネット=思考です。ですから思考を止めて、、、などのスローガンは無意味、無策、無駄です。そこで重要なこと、、それは理屈でまずは、、なぜ雑念に意識を意識しなくていいか???雑念がなぜ無駄か???を理解することです。頭でははっきりとその無駄を理解できますと、、あとはエクササイズで取り除くことに専念できます。

思考を一生無くすのではない

思考が悪いのではないんです、、思考集中モードが苦しいということです、、、勝手に次から次へと雑念が湧くのが苦しいのです。この状態が悟りの正反対の位置にあります。悟りとは思考からの脱却です。そしてこの社会では勿論思考は必要になりますから、、思考は使うべき時のみ使う道具に戻します。そのためには意識を思考に集中させることを辞めさせます。

思考に毒されているかの確認

思考法、瞑想などをやると、、、自身がどれほど思考に毒されているかが分かります。つまり思考が勝手に湧いてくることに嫌でも気付かされるのです。これがまず第一段階です。自身の思考中毒に気づくことが重要です。次に呼吸法、瞑想をやっていきますと、、明らかに視界が変わっていきます、、、この変化に気づくことが第二段階です。第3段階は、、、何か作業をしている時、仕事をしている時に、、、シーンと静まりかえった中でそれが行われていることに気づくことです。つまり全く意図せず静寂の中にいることができるようになります。

なぜ美味しいものを食べたいか知ってますか?

思考から胃袋に焦点がいく

食べると幸福感に包まれますよね????むしゃくしゃが止まりませんか????そうです、、、食べた瞬間に意識が思考から胃袋にシフトします、、頭部から腹部に意識が外れ、、、その瞬間思考の渦が止まるんです、雑念が止まるのです、その瞬間は悟りに入るのです。これが欲しくて、苦しみから一瞬でもいいから逃げだしたくて人は食に走るのです。

タバコもお酒も

世界の嗜好品というのは、、思考に集まった意識を他に外させるためのテクニックです、、思考に意識が意識し過ぎますと、、、「苦しい」が続くんです。この状態から逃げ出すために食事、タバコ、お酒、チョコ、ケーキがあるのです。だからこれは悟りを理解している人の行動なのです。思考に意識が集まりますと、、その間ひたすらに思考が作り出す幻想の中に閉じ込められます、、これが緊張と孤独を生み出すのです。

意識的に思考から意識を外す

つまりつまり意識的に思考から意識を外すことができれば、、、お酒もタバコも、食事も、甘いものも要らない、、となります。そうです、、、我々はもう嗜好品に頼らなくていいのです。ではどうするか????呼吸法です。呼吸を意識に意識させるのです。呼吸はどこで行われていますか????思考の中ではないですよね????つまり呼吸を意識するとは思考から意識を外すことなのです。これによってそこに居て苦しみを消すことができます。

どんなに滑稽な行動も

ベストな選択をさせられる

酔っ払って昨日本当に馬鹿な行動を取っちゃったなー、、、、残念!!!!間違いなくベストな選択をしています、過去のデータ上。あの時は本当不注意で大失敗したよ!!!、、、残念!!!!その時もデータ上最善の選択が自動的になされています。失敗して、、三日三晩考えすぎちゃった、、馬鹿だよね????違います、、考えすぎるという行動も完全完璧なベストな選択として起こっています。

あの歳は本当に不調で

20歳の時は本当は勘違いが酷くて、、失敗し続けたんだよね!!違います、、データ上完全完璧な選択しか取れないので、、たまたま周囲からはそう映っただけです。それを操れる人格は実は存在しません。自我が存続すると思ってもいいのですがその自我はデータ上最善最適な選択しか選択できないようになっています。つまり全員がそうなのですから、、自我は居ないと思っても全く関係なく人生は進みます。

ただ経験させられるだけの人生って本当は存在するんですか???

結局最善最適な選択をさせ続けられていく人生ならば、、それって人生と呼べるんですか?????間違いなく多くの人が思っている人生とは違いますね、、化学反応上の事実と多くの人が想像する人生とは異なるということです。勝手にそのような行動をさせられるならば、、そのゲームの行方を俯瞰しててもいいぐらいですよね???その通りです。どこで俯瞰するんですか????今ここです。もう俯瞰でいいや、、が起こった時に、、今ここという真の安らぎの場所にどんと座ってこの経験だけをさせられるというステージに入ります。