自由意志

影響を与えているという実感

ヤカンに火を入れると沸騰する

我々が自身の自由意志にどっぷりハマってしまう理由は個人の行動の全ては結果に集約されるからです。ヤカンに火を入れれば沸騰する、、、洗濯機をオンにすれば、、洗濯が終わる、、、全部が全部選択には結果が伴うのです、、、だから人間関係にもこれを応用し、、、言動を選択し、、、、関係を構築していると勘違いしています。

はい、、全部神羅万象の現れです

ヤカンに火を入れるのも、、、友人との会話の内容も、、、全部が全部神羅万象の現れです、、、と言ったらどうなるでしょうか????今までの苦悩が全部吹っ飛びます、、、、重さが全部吹っ飛びます、、、ただ同時に功績も吹っ飛びます、、、、全部がダイナマイトでぶっ飛ばされます。。。。そしてその後静寂が続くのです、、、、この静寂こそが、、、、素晴らしい、、、子供の頃に感じていた静寂。。。。

神羅万象の劇場として楽しむ

我々は言語を記憶することが出来るようになることでこの神羅万象に、、、独立分離した存在をたくさん作り上げました、、、、、本当は神羅万象ですからそこに分離は絶対にないにも関わらず、、、間違いなくあるかのように、、、見ることができます、、、、アメージングな才能です、、、、これをそのまま楽しめます、、、、独立分離しているように見える、、、この世界が神羅万象によって動き続けるという大映画をそのまま楽しめるのです。もしかしたらもう深刻にはなれないかもしれませんが、、、もう十分でしょう。

絶対肯定

全部を肯定していく

今までなぜ自分を出して来なかったのだろうか???違います、、ただそれが起きただけです、、、今までなぜあの仕事をやらなかったのだろうか???違います、、ただそれが起きました、、、、なぜ????なぜ????なぜというのは自由意志がある人の考え方です、、、自由意志はありません、、、つまり起きたことはtだ起きたのです、、、完璧に、、、、過去の人生全てを肯定すると、、、、、自分の中に否定が無くなります、、、すると見える世界に否定が無くなります、、、、

周囲の人間を否定しなくなる

なぜこの人はこんな格好を、、なぜこの人はこんな仕事に、、、なぜこの人はいつも怒っているの?????これらの疑問が全く出てこなくなります、、、、、なぜならばそれがただ起こっているからです、、、、あらゆる因果応報、うん億年間の因果応報の結果としてそこにただ現象が起きたのです、、、そこを判断するのは無意味です。すると否定が全くできない、、周囲に否定を作れない、、、自分の中に否定が作れない、、、この自分の存在も人生も否定できない、、、、

ジャックナイフのように生きて、、、

若者は尖っています、、、ジャックナイフのように、、、自分を否定し、周囲を否定し、、、、自分をそれでも守っていく、、、、究極の否定、、、ですが、、これはこの体の生存戦略です、、、誰も信用しない、、、これも一種の生存戦略です、、、、ですが非常に苦しい、、、、ここから全肯定にシフトしていきます、、、先ずは自身の才能を、言動を、、、、そして周囲の存在を、、、、世の中には自由意志は一切なく、、、全部が神羅万象からの起こり、、、それを否定することはできません。世界が完全統合されます、、、自分が完全統合されます、、自分と世界に境目が無くなります、、、そこに気づく空の存在、万物の動き(色)、、、空と色が統合されます。

で??明日からどうすればいいのですか??

どうもできない

ノンデュアリティ、悟り、覚醒のメッセージは分かりましたよ、、、、で結局明日からどうすればいいのですか????どうもこうもそれを決める力が見かけ上の個人には無いのです、、、見かけ上の個人はやっているつもり、考えているつもり、感じているつもりしかできません、、、それじゃあ廃人と同じですよね????違います、、それを物心ついてからずっとやってきたのです、、だからこれからもやっていくのです、、、、唯一の違いはそのことに自覚的であるか否かです。。。。見かけ上の自分以外に、、神羅万象、気づきの意識があり本当の自分はそっちだったという気づきがあるか否かです。

どうもできないなら死にたい

どうもできないなら、、生きていてもしょうがないですよね????見かけ上の個人が完全自由意志で行動してきたと勘違いしていた状況から、、完全に神羅万象そのものであったという気づきが起きると、、、そのような感情、発想が神羅万象から湧き出すこともあるでしょう、、、、、ですが神羅万象の動きそのものであるという気づきは本当に退屈でしょうか??本当に無感動でしょうか???私はそうは思いません。

何を目標に生きたらいいか分からなくなった、、、

もう何を目標に生きたらいいか分かりません、、、大丈夫です、、、その目標も神羅万象から現れます、、もしくは現れないこともあるでしょう、、、そしてそのことと、、至福感、静寂、、とは何も関係がないということです。苦しみとは何も関係がないのです、、、独立した個人であるという脳の錯覚が神羅万象から起こった時に苦しみが湧き上がり、、、これが脳の錯覚であるという気づきが神羅万象から起きた時に苦しみが終わります。

神羅万象にミスはない

自然界の動きに自由意志はない

神羅万象、自然界の動きに自由意思なんてものは存在しませんね、、ではなぜ人間だけが自由意志があるのか????ありません、、、神羅万象にミスはないのです、、、人間だけを特別扱い、、差別扱い、、なんてあうわけがない、、、、、いや、、だって今コーヒーを飲むか、飲まないか人間は決めれますよね???違います、、、決めているように感じているだけです。

総理大臣は一つの決断で、、、

いやいや総理大臣は一人の決断で、、国家予算を決めているではないか???違います、、、決めているように感じているだけです、、、、全部が全部神羅万象の現れ、、、その決断が現れたのです、、、そしてそれを私が決断したという思考も神羅万象から現れたのです。どこまでいっても我々はこの神羅万象の現れです、、、例外はないのです。

じゃあ、、今後の人生について考えなくていいのか???

考える自分が存在していないのです、、神羅万象の現れとして暫定的に自分が居るという発想が現れました、以上。この自分の人生をいかにしよう???が現れることもあるでしょう、神羅万象から。どこまでいっても森羅万象からの現れしか起きないのです。もしかしたら突然ホームレスになるという発想が神羅万象から現れるかもしれません、、もしかしたら億万長者になる方法が現れるかもしれません、、、全部神羅万象任せなのです。

サレンダーの本当の意味に気づく

降参とは粋な表現

降参という言葉、、、今となっては本当に素晴らしい表現だと気づきます、、スピを学び始めた際にも、悟りを学び始めた際にも、、言葉では理解できるのではどうしても腹落ちしない、、、でもここに何か真実があることだけは分かっていました、、、今はハッキリと分かります、、、究極の脱力、、これを求めていたんだなと、、自我の完敗、乾杯です。

それを言ったらお終いよ

結局何が苦しかったかと言えば、、、一度でも自分の力で何か良い結果を出してしまったことだったんです、、結局自分の努力で何かを勝ち取った、、自分のアイデアで楽ができた、、、自分の発送でお得感を感じれた、、、こんな小さな小さな勘違いが大勘違いを生み出し苦しんでただけだったのです。自分が居て、その自分には自由意志があり、、のゲームに上手く乗せられていただけだったのです。それが「自分も自由意志もない」、、、と覚者全員が宣えば、、、それだけは言っちゃいけない、、言ってほしく無かった、、

あれ???ちょいちょい出てくる自由意志がない、、発言、、、

大和田菜穂さんの動画を見ていると、、ちょいちょい自由意志がないって言っているような、、金森さんの動画を聞いても、、、溝口あやかさんの動画を聞いても、、アジャシャンティの本を読んでいても、、、あれ、、、なんかちょいちょい出てくるぞ、、、まーそこは気にしないでおこう、、、でも気になる、、、、そしてどこかでハッキリと、、、「自由意志はない」を言い切る人も、、、もう諦めよう、、、、が見かけ上の私に起きました。

自分がやっていると思い込む大人

緊張感

自分がやっている、、と思い込む大人には緊張感があります、、自由意志をフルに発揮している、、と思い込む大人には緊張感が走っています、、、一生懸命余裕をぶっこいているようにも見えますが、、ただそう見えるだけ、、なぜならば結果は自由意志とは全く関係なく、、起こるからです、、しかも自由意志も実はない、、地獄、、本当はこの自分は何も分かっていない、、因果関係など、、

ただ揺れ動く現象

ただ揺れ動く現象をコントロールできる存在など誰もいません、、この個人はこの現象に一因を与えるのみでしょう、、しかもその一因すら、、自由意志ではできない、、、にも関わらず個人はこの現象をコントロールしているという誤解を持つ場合が起こります、、、大人です、、、苦しい、、緊張感、、、知られたくない、、、

子供はこれに気づく

子供はこれに気づきます、、、この大人は何を緊張しているのか?と、、、何に怯えているのか???と、、、全部をコントロールしているかのように振る舞う大人の奥に凄まじい緊張感を感じるのです。覚者は全部が全部なすがまま、あるがままに気づきた人です、、この自分すらいない、、ただ現象そのものがる、それだけ、、だがそこには静寂があり、、至福、、全部の責任から解放される、、

何の制限もない世界から急に制限の中に閉じ込められた

この世の閉塞感とは??

おかしい、、小さい頃は全くの自由だったのに、、、いつの間にか不自由な檻の中に閉じ込められてしまった、、、なんかよく分からないけど、、、不自由な感じがいつもする、、、小さい頃よりもお金も得ているし、好きな服も、好きな靴も、好きな食べ物も食べているにも関わらずなぜ不自由感が溢れているのか???何かがおかしい、、、そうです、、我々はいつの間にか、、、不自由な檻の中に閉じ込められてしまったのです。

名前を覚えてこの私が食べれるようになったら、、

学校ではあらゆることを暗記させられますね、、、これはりんご、これは魚、、から始まり、、最終的には化学記号、二次方程式、英語、、世界中の国の名前、、、まで、、、これによって我々は、、この現象しかなかった世界に名前が付けられた現象の世界を重ね合わせました。これによってこの名前が付けられた「私」は食べていくことができる仕事が与えられて、、生きていくことが許されたのです。しっかりと名前を覚えればしっかりした仕事が与えられます。職場ではやはり仕事で使う名前を暗記させられ仕事を任されます。

食べれるようになったら、、、

食べれるようになったら、、、次はこの苦しみのメカニズムを覚えていきます、、、実は自分は元々はいなかった、、途中から名前が付けられただけ、、、実はあらゆる生命現象には名前はついていなかった、、便宜上つけられただけ、、、、実はこの私の自由意志はなかった、、、便宜上あるとされてきただけ、、、実はこの私のストーリーは錯覚である、、便宜上そうあることにしているだけ、、実は全ては気づきの意識の中で起こっているだけで、、それ以外何もないこと、、、実は気づきの意識は自由そのもので何も必要がないこと、、、と不自由な檻の中に閉じ込められていた何かは存在せず、、自由そのものしかないこと、、

敗北者から後悔を取り除くのは至難の技

後悔こそが自我延命システム

失敗者、敗者は深い後悔の念に苛まされます。あの時これをしなければ、、あの時にこの決断を私がしなければ、、あのアドバイスを聞いておけば良かった、、なぜあの人の真似をしなかったのだろう、、、エンドレスに後悔が起き上がります。全部これは自分の存在、そして自分の自由意志が有るという前提で起こっています、ですが実際には自分も自分の自由意志も存在しません、、、

後悔を使って自我は生き延びる

なぜ後悔をするのか???それはもっと良い方法があって次はそうしようという期待があるからです。それをしようとしているのは自我であり、、その期間自我は大安泰に入れるのです、、、次に期待を込め、、、次への改善に走るのは自我です、、、自我はどんな手を使ってもこの自我として至福を見つけたいのです。そんな自我に向かって、、「自分も自由意志も存在しない」というメッセージは畑違い、空気読まなさすぎなメッセージになります。

くよくよ後悔してるようですが、、、自分も自由意志もないですよー

大後悔は大茶番です、、、至福が大後悔するって意味不明ですよね、、、そうです、、至福(気づきの意識)が自我に意識することで苦しみが起こっているだけですから、、自我の失敗に大後悔するなど大茶番です、、、自我最大の失敗は、、自我にフォーカスが当てられているということです、気づきの意識から。ただこの事実に気づきの意識が気づくことです、、これで全ての苦しみは終わります。

成功者から自由意志を取り上げるのは至難の技

自由意思大好き人間

成功者は自由意思大好き人間です、、だってその人の自由意志を最大評価されるのが成功者だからです。最大評価されたのは誰ですか???自我、自分です。、ですから成功者は自分が大好き、、、その自分が自由意志を最大限発揮し成功を手に入れたという御大勘違いをしています。本当は自分も自由意志も一切ないにも関わらず、悲劇です。

成功中に悟るのは難しい

成功者の多くは無我に入るのが得意な人種でしょう、、なにかに集中しなければ結果を出すのは難しいからです。ですがその功績を自我は絶対に手放さない、、、私がこの功績を作り上げたと評価を受けたがります、、そして案の定その評価を受けた自我は悦に浸るのです。一時の安心を得ます、今後の安泰を期待します。ですから成功中の自我に「自由意志はない」「自分も居ない」というメッセージを放てばとんでもない過剰反応が起きるのです。

自己実現から自己超越へ

自己実現を達成した自我は己に酔いしれていますから、、最も危険な状態とも言えるでしょう、、酔いしれているのに苦しいのですからかなりの孤独を感じます、芸能人、スポーツ選手のスキャンダルの多くはこれが原因です。酔いしれながら苦しいのです、、、、そしてこの苦しみを取り除いてくれる最後のメッセージが「自分が居ない」「自由意志がない」です。自己実現を達成した自我の全ての功績を取り上げるこのメッセージが苦しみを終わらせます。これに気づきの意識が気づくと苦しみが消えます。自我に成り切った気づきの意識がこれに気づくと苦しみが消えます。

自我の共存共演作戦

相手の自我を刺激し共存共栄を

自我は相手の自我を刺激し、、共存共栄を図ります。喧嘩を吹っかけて反応を期待します。反応が起これば占めたもの、相手との喧嘩に自我は実は大喜びします。結果は自我無しでは成り立たないからです。相手は私の体の中の自分を標的にしますから強烈に自分を意識することができるのです。体の中に自分が不在の状態で喧嘩を吹っかけてくることはありません。

相手の作戦に乗らない

喧嘩をふっかけてくる相手にはどう対応をすればいいのか???先ず相手の体を通じて喧嘩を吹っかけるが起きました、、ここ重要です、、そこに相手の自由意志は全く関わっていません、、その現象が起きたのです、、するとそこに関わるか否かにおいて感情が湧きてきません。そして究極を言ってしまえばそこに反応が起きるか否かも全体からただ起こります、、そこに自分の自由意志はないのです、、、この事実に気づくことです、、この事実に気づきの意識として気づくのです。

喧嘩のふっかけに乗っても全く後悔しない

喧嘩のふっかけに思わず乗ってしまった、、、相手に自由意志はないのに、、そこは分かっていたのに、、そうではないのです。。そこにこの体がどういう反応をするかも自由意志はないのです、、自由意志がない同士の反応が起きただけです。起きた結果に反省が起きるのは、、こちらに自由意志があると思い込んでいるからです。ここに気づきます、気づきの意識として。