蛇からロープへ

蛇に見えるロープ

夕方、、、道を歩いていると、、、蛇だ!!!!と驚きます。ビックリして腰を抜かした後、、、注意深く見てみたら「ロープ」だった、、、、これが幻想が実在に変わった瞬間です。蛇は幻想でありロープが実在です。最初、、実在としての蛇が出現します。次に、、蛇がロープだったという気づきが起こり、、蛇がロープに変わります。その瞬間蛇は消え去ってロープが出現します。蛇とロープは同時には絶対に出現しません。蛇は幻想に切り替わり、、、ロープが実在として出現するのです。二つが同時に現れることは絶対にないのです。なぜならば一つしか実在は存在しないのですから。

この世界

この世界が実在として君臨する時、真我は確実に隠れています。真我は忘れ去られていなくてはなりません。これはマストです。世界が実在として君臨するには真我という実在は発見されてはいけないのです。では、、、もしも真我が発見されたら世界はどうなるか????実在としての世界は消えてなくなり幻想になります。影です。真我が発見された瞬間、実在は真我のみになり、、世界は真我の影になります。真我が生み出す夢に変わるのです。実在としての世界、実在としての真我、、この二つは絶対に両立しません。

この私

この私が実在するためには真我が発見されてはいけません。真我が発見されてしまった瞬間この私は幻想になっってしまうからです。実在の私と実在の真我は絶対に両立しないのです。そして事実として真我のみが実在でありそれは今ここで発見されます。するとその瞬間、この世界もこの私も幻想、影になります。実在の座から退き、、影、幻想になるのです。そしてそれが事実です。世界が既に影であることが暴かれてしまった以上、、世界に君臨する私も当然影です。世界も影で私も影ならば全て影、蜃気楼です。

世界も私も

世界も私も真我の影って、、なんか強烈に虚しくないですか?????とんでもない、、真我が真我に気づいた瞬間、、至福そのものです。真我=至福であり、、虚無とは全くの正反対です。世界、私が実在と思う心こそが、、苦しみを生み出していたのですから。その苦しみが消え去るのです。実在としての世界、実在としての私が消え去った時、、実在の苦しみもまた消えるのです。影を影と自覚して苦しみなど起こりようがありません。影を実在と信じる動きが起こった時のみ苦しみは起こるのです。