感覚
ここに世界一の催眠術師が存在するとしましょう。世界一です。その世界一の催眠術師の前で「オレンジの味がするジュース」をあなたは目隠しをした状態で飲みます。あなたはそのジュースがオレンジジュースであることに「1億円」ベットできますか???1億円を賭けて催眠術師と勝負できますか????できませんね。なぜならば彼らは催眠術で味覚を変えてしまうプロだからです。何を飲んでも食べてもその感覚に対して彼らの前で「言い切る」ことは不可能です。
では
世界一の催眠術師の前で「あなたは今生きているか???」という質問をされた時、、あなたは「生きている」と言い切ることに1億円賭けることはできますか???生きているかどうか????この質問になった途端にあなたは「生きている」と言い切れるのではないか、、、それならば1億円賭けて勝負してみようかな、、、と思うのではないですか???食べ物や飲み物を当てることには自信はないが、、生きているかどうかに関しては1億円賭けてもいいんじゃないか、、、と思うはずです。
つまり
目の前で起こる出来事を当てることに関しては、、催眠術師の前では全く自信がないが、、、生きているかどうかだけは、、、、世界一の催眠術師の前であろうとも、、断言していいんじゃないか、、そう思いませんか???答えを言いましょう。。そうです、大丈夫なんです。。。「生きている」このことに関してだけは、、、催眠術でコントロールできない領域なのです。生きているというこの感覚は催眠術でコントロールできる「心」の領域ではないのです。
神の領域
生きている、、、、という断固疑えない感覚が最初にあって、、、その中で、、、あらゆる出来事を「心」が生み出します。その心の活動がこの二元ストーリーです。心がどんな二元ストーリーを奏でようが、、、「生きている」という神の領域を侵害することはできません。「生きている」「在る」「意識」この領域は心を超えているのです。これが神の領域、真我の領域です。この中に心の領域が起こっているのです。
あなたは何????
生きている、在る、意識、、、この領域は神の領域だと説明しました。。。そして今あなたはそれを感じています。感じているのは思考の「あなた」では絶対にありません。思考のあなたは神の領域「生きている」の中の思考の活動です。真のあなた、真我が「生きている」という感覚に気づくいているのです。思考のあなた「自我」の方は、、その中で起こる思考の活動、心の活動です。自我が体を同一視し「私」をやっているのです。それは全て思考の領域の話です。