気づきに気づく

私は〇〇だ

私はこれだ、私はそれだ、、、その「これ」「それ」とは、、、この幻想の世界の中の「何か」のはずです。私をこの幻想の世界の中の何か、、、にした瞬間「分離感」が生まれます。世界と私の二極構造にシフトします。これが恐怖心を作り出し、、世界に問題が溢れる流れとなるのです。ですが、、「私は〇〇だ」という思考がこの幻想の世界で起ころうとも「この意識」は何も変わらず、、ここに「在り」ます。不変のこの意識の中の全ての行動に過ぎません。そして我々とはこの意識の方です。

微動だにしない

雨が降った、雪が降った、今日は嵐だ、、、、この映像の世界では何でも起こります。あらゆることが次々に起こり続けていきます。ですが何が起ころうとも「この意識」は普遍です。微動だにしません。そこに気づいてください。この微動だにしないこの意識が「あなた」です。あなたは生まれてこのかた、、一度も微動だにしたことがないのです。何一つ動くことができません。この幻想の世界で起こる何かがあなたに変化を起こすことは絶対にないのです。その事実から逃げてはいけません。

気づきに気づく

この意識は微動だにせず、、、その意識の存在が今気づかれています。今この意識があることを疑う者はおらず、、ではなぜこの意識の存在は気づかれているのでしょうか????この意識が存在することが気づかれている、、このこと、、、この原理に気づくことが究極の気づきです。この意識、、、が気づかれているということは我々の本性は「気づき」なのです。そしてこの意識は全現象、全幻想、、の現れと同時に現れます。そのことにも気づくことができます。我々の本質は「気づき」であり、、その影が「この意識」であり「全現象であり」「全幻想」です。

自我があろうとなかろうと

自我があろうとなかろうと、、、この構造には何一つ影響を与えることができません。その事実こそが我々が自我ではないことを見抜けますか?????自我の有無はこの構造には影響ゼロであり、、自我はあってもなくてもいいのです。ですが自我の有無をコントロールできる誰かも存在せず、、その誰かがあるように見えてもそれは「この意識」の中の幻想に過ぎません。

究極の視点

究極の視点からこの幻想を眺めると、、、、ここに起こる全ては愛の表現であり平和の表現であることが分かってきます。何一つこの意識にダメージを与えれる現象、幻想はなくその事実こそがそれを証明しています。朝起きて「国民〇〇党支持率ダウン」というニュースが入ってきます、、、そのニュースは、、あなたの「この意識」に何か影響を与えましたか???全く与えません。ゼロです。このニュースが幻想に過ぎないことはこの事実からも明白なのです。