マリオにとっての完璧とゲームとしての完璧は違う

マリオにとっての完璧は、、、

マリオにとって完璧なゲームとはクッパに勝った時に最大限の祝福を受け、ステージが上がるごとに見た目も精悍になっていき、服装もゴージャスに、豪勢な食事にありつけ、、ピーチ姫からの感謝も盛大に、、こんなことかもしれません。ですがゲームとしての完璧さは違います。マリオのレベルに完璧に合った敵が完璧なタイミンングで現れる、一面をクリアーすると二面は完璧な微差でレベルアップされている、低過ぎても高過ぎても駄目、ちょっとだけ難しくなっている、そこが完璧。マリオにとっての完璧とゲームの完成度の高さは全く違うのです。

この人間ゲームはもっと完璧

人間にとっての完璧は、、完璧な家に住み、完璧なパートナーがいて、完璧な仕事があり、完璧な子供が居る、完璧な友人がいて、完璧な週末を送る。。。ですがゲームとしての完璧さは全く違います。その人間のレベルにに完璧に合ったレベルの仕事、パートナー、環境、週末、、、ということになります。マリオがどう思うおうとゲームとは難し過ぎても簡単過ぎてもダメなのです。この人間ゲームも同じ簡単過ぎても難し過ぎてもダメ、、その人に絶妙に合った難易度になっている、これが完璧。人間制作のマリオですら、マリオを扱うプレイヤーレベルに完璧に合った進展をみせることができます。この神制作人間ゲームがそこを踏襲できないわけがない、、もしろもっと正確無比にそこは行われる、そう思った方が賢明です。

今自分に起こっている問題は完璧な難易度

スーパーマリオにチャレンジするプレイヤーは自身のレベルに合ったステージで思考錯誤するはずです。何かの間違いでいつの間にかクリアーしてしまった、、それがありません。初心者は一面、中堅者は4、5面、上級者は最終ステージでの試行錯誤が起こります。これは人間も同じその方が今思考錯誤しているステージこそが最適ステージということになります。この神制作人間ゲームをそのような視点で眺めますと試行錯誤の意味が変わってきて面白くなります。

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