鑑賞者なしに

この経験、この知覚、この五感

もしもここに鑑賞者が存在しなかったら、、、何もありません。全部が消え去ります。全消去です。ラーメンを食べた時の「美味い!!!!」がもしも鑑賞されなかったならば、、、、、美味いはどこで存在できますか???美味い!!!!!が出現したとてそれが鑑賞されなかったならば、、、、美味いは存在しないも同然です。つまり全ての現象は「鑑賞」があっての現象です。つまりもしもあなたが「美味い!!!!」を知っているのならば、、あなたはその鑑賞者です。あなたは鑑賞者の方です。

あなたはあなたの中に「私」という存在を知っているのですね????私という存在を知っているから「私は花子です」と曰うことができています。つまりあなたは「私」という存在の鑑賞者です。鑑賞者であるあなたがもしも存在しないとしたら、、、その中の「私」は絶対に100%存在できないのですから。。私が居るとか居ないとかはどうでもいいのです。もしも居るならばそれは100%鑑賞者である「あなた」によって鑑賞されているということです。

逆に言えば

全現象は「鑑賞者」無しでは成立しないということは、、、、、全現象は「鑑賞者」が生み出していることになります。全現象は「鑑賞者」の子供です。だからどんな現象も子供なんです。全現象は愛おしいわけです。全現象が愛おしい、、という感覚になっていれば既に目覚めています。「愛おしいはずだ」これは違います。その思考現象がただ起こっているだけです。その思考現象すらも「子供」だという自覚が生まれた時「悟り」です。