もっと悟りたい
人間は生きていれば、、もっと目覚めたい、もっと悟りたい、、もっと解放されたい、、もっと、、もっと、、、という衝動が起こります。あの人のようにもっと悟れれば、、、あんな人になるにはもっと目覚めないと、、、、です。ですが事実では、、、もっと悟れる人間という存在が幻想だったのです。その人間、自我が、、、幻想だったのです。つまり存在しないのです。幻想の定義は「実在」しないということです。実際には存在しないのです。
だから
だから悟った個人というのは存在不可能です。存在しているように見えても、それは存在しているように見えるだけです。ここまでが事実です。事実では幻想としてしか存在できません。悟れる実体は存在しないのです。ですが、、、事実として「悟り」があるのならば、、、どこでその「悟り」は存在すのですか????「悟り」が存在しないならばその言葉は生まれていないわけです。人間に悟りが起こらなくてもどこかでは悟りは存在するのですからその何処かがわかればいいわけです。
最終回答
では悟りの起こる場所を説明します。その場所とは「この意識」です。この意識の中で全ての「気づき」が起こることを「悟り」と呼びます。この意識の中で全ての矛盾が消えた瞬間を「悟り」と呼びます。この意識は実在であり、、、この意識の中で「そうか、そうなってたんだ」という気づきが起こり、、、迷いが吹っ飛んだ時「悟り」です。そしてその悟りが人間という幻想に反映された時「周囲からあの人は悟っている」という反映が起こるのです。ただそれだけです。人間という幻想は「悟り」が反映されるアバターに過ぎません。あなたが会いに行く「覚者」は悟りが起こしたアバターです。