もう頑張らない

自我

我々の動きの全ては全自動です。ですから頑張るとか頑張らないとかの決定権が全くありません。そのことが分かった時、、、ただひたすらに、、、自我活動を見守る、、、という意識の状態に入ります。どうしたらいいか????という戦略に関心がいきません、、なぜならばどうすることができる「誰か」は既に存在しないことを知っているのですから。「結果」の責任を負う「自分」は存在しないのです。

ところが、、、、

何もかもの活動に一切責任を置くことがなくなった時、、、、観察者の視点が芽生えてきます。実在としてただこの幻想の動きを観察する、、、、という視点です。意識が実在に意識した時、、、この幻想の世界での結果に関心が薄れ、、、真の自由がここに起こります。本当の自由ってこういうことだったんだ、、、という解放感です。「昨日これをしなきゃ良かった」という表面上の後悔は起こりますが、、、その後悔は自分を責める後悔ではなく、、ただの改善です。こうして全く深刻さがない中で日々が起こっていくのです。