悟った後が本当の人生

自分は実は人間ではない、、この後の人生を楽しむ

悟りとは、、、この身体の中に独立した自分が居る、、という錯覚を見破ることです。これを見破ることができたならば次は全体としてこの人間ゲームを楽しむというフェーズになります。我々の本質はワンネス、全体でありその本質がこの体体験をしているのだと。マリオを完全にゲーム上のキャラと認識してプレイするようなモノです。人間を完全にゲームのキャラとしてプレイする全体に戻るのです。

この体が何かを経験すれば色々な感情が湧いてくる、、

例えば休日に何も予定がなければこの体は退屈を感じるでしょう。今までは退屈だなー、何かしよう。とこうなっていたはずですが、、退屈を感じた時にそれを全体として捉えます。体ゲームしていたら退屈が湧いたと、、全体として捉えるのです。ではこの体を動かして退屈を解消しようとなります。少なくとも退屈であることにこの体が悩むことはなくなります。なぜ自分は退屈なのか?なぜ予定がないのか?これがないのです。この体を動かしている全体が退屈を感じているな、、と感じるだけです。

全体はプレイヤー兼クリエイター

全体はこの体でもあり、プレイヤーでもあり、このゲームを創造したクリエイターでもあります。要は全部です。ということはどの視点でもゲームを楽しめます、誰が?自分(全体)です。どの視点の自分(全体)になるかだけです。体を自分(全体)と思うも良し、プレイヤーを自分(全体)と思うも良し、クリエイターを自分(全体)と思うも良しです。

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