マリオが経験する感覚の全てはその場で回収される

プレイヤーはマリオの経験を瞬時に回収する

マリオがジャンプしてクリボーを倒す経験はマリオがクリボーを倒すその瞬間にプレーヤーが回収します。マリオがクリボーを踏んで倒す時効果音「ポン」という音が聞こえますがその音はマリオの聴覚に頼らずにそのままプレイヤーが回収します。この人間ゲームをこれと同じでして私が食事をする時に食事が喉を通る感覚を私の喉から脳にかけての電気信号を経験すると同時に食べた瞬間にその感覚を全体が回収します。体の中で起こる電気信号に頼らずにそのまま全体はそれを回収します。音楽を聞く時にもBGMが流れればその音を全体はその場で回収します。音楽が鳴っている振動そのものを全体がそのまま回収します。その際に人間の聴覚からの脳への電気信号には頼りません。頼るを経験することもできます。

自分の経験の全ては人間の脳の電気信号に頼らずにその場で回収されている

道で誰かに話しかけられた際に、人間は聴覚が働き次に視覚が働き脳の中の記憶部位が作用してその人を誰か認識するというメカニズムが体内で起こりますが、、、同時に全体はその登場人物を認識し、話しかけられるを全体が認識し、話している内容を全体が認識します。自分の脳の介在を必要としません。自分(全体)と全体のダブル認識が起きているのです。自分(全体)が誰かを認識する経験、全体がそのまま誰かを認識する経験が起こります。

池に石が落とされる時、、、

音が鳴ります、この音の振動を全体はそのまま認識します。気づきの意識がこの音を音として認識します。気づきの意識はこの音が現れる源であり源が源としてそのまま音を認識します。禅の老子が扇子を「パシ」と叩く音を鳴らす時にただそこに音があると表現するのはこのことです。全体がそのままこの音を認識します。気づきの意識がこの音を認識します。人間はこの音を私の聴覚が察知し、脳への電気信号が起こったと解釈します。ですが自分がこの音を認識したという認識はこのドラマへの入り口になります。自分劇場への取り入れです。

マリオが経験した、自分が経験した、、、これらはドラマ、劇場への参加

マリオ、自分は起きる全てを自分ごととして捉える事は可能です。ですがそれは自分ドラマ、自分劇場への創造になります。本当は全体がそのままその経験を認識できます。なぜならばマリオ、自分の経験の全てはこの全体の中で行われているからです。全体の中の経験です、全て。ですからマリオ、自分の経験をそのままマリオ、自分の経験として捉えるか、全体の中にその経験が起こったとして捉えるかで全く意味が変わります。これまで人類はそのすべての経験を私の経験として捉えてきましたが全体の中で行われる経験は全体の経験として捉えることが可能です。

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