思考が生み出した登場人物
思考が生み出すカラクリを見抜けない時、、ここに出てくる「思考、記憶が生み出す登場人物」に退屈を感じます。登場人物に出会い「記憶から生み出すその人」に会います。その人という実在ではなく記憶が生み出す「人物像」に会うのです。だから毎回毎回同じ人物像です。記憶が「この人はこんな人」と定めれば、、、そうなります。物理空間は存在しません。時空間は存在しません。ですから実在は存在しえないのです。つまり我々は思考が生み出すイメージと毎度毎度会っているのです。
解除
思考のカラクリに気づきますと、、会った感覚がその人になります。毎回毎回雰囲気は変わるのですからそれがその人です。思考が決め込んだ固定観念ではなく「雰囲気」がその人になるのです。この体の消滅に対する恐怖心が消えていきますと対人に対する恐怖心も消えていきます。その時毎回毎回フレッシュな人間関係が生まれます。
もはや人間関係ではない
真我の存在に気づくと、真我実在に至ると、、もはや人間関係ではなくなります。真我から現れでる映像内の動きでしかありません。アバターとアバターの交流です。そこには真の私「真我」は全く含まれていません。全く私が含まれずにアバター同士の交流が起こります。世界とは「真の私の投影」であり全ては私なのです。この体とあの体の交流とは私と私の交流です。何の分離もありません。全く分離がない中で平和な交流が起こるのです。