2度目
映画を観ます、一回目を観ます。続けて二回目を観ます。続けて三回観ます。どうでしょうか??湧いてくる感情が違うのは分かりますか???そうです。毎回毎回見ると現れる感情が変わります。映画は全く同じ内容です。ですが感想、感情が毎回異なります。悟りとは全てを分かってしまうことです。全てを分かってしまった時、今目の前の私という映画が上映されていても感情が変わるのです。
怖くない
私という映画の上映において一番の感情は不安、恐れ、孤独でしょう。分離感が起こす感情です。これが私という映画の基本的感情です。これが変わります。全てが分かってしまった時、恐れが湧いてきません。全てが自分自身で自分自身の投影に過ぎないと分かってなぜ恐れの感情が湧くというのでしょうか???不安???何を失うことがあるのでしょうか??戦争???いやいや空間がないのです。戦争はどこで起こるのでしょうか??
全てが私
世界が分離していると信じるためには記憶が必要です。記憶がない時分離しているという感覚を持つことができません。分離とは記憶による断片作業の賜物です。分離をすることは不可能なのです。分離という認識を記憶が作り出すのです。私という認識を記憶が創り出します。全ては私です。それを記憶によって分離という認識が生み出されています。つまり今も完全に分離のないあるがままが起こっています。それを分離させるのは記憶なのです。そして分離などしていないにも関わらず記憶によって分離を生み出し苦しむのです。
その結果
苦しいのだから快楽を求めます。苦しいから快楽を与えてくれる対象を探します。この行為こそがさらなる分離を生み出します。記憶をフル回転させて苦しみを一時消してくれるだろう対象を探すのです。この行為こそが記憶が生み出す奴隷行為です。そっちではダメです、そっちに行っても苦しみのループです。真実に目覚めるのです。ベクトルが真逆です。真実では全ての知覚の「気づき」こそが我々です。ここから知覚が現れだし分離という感覚だけが起こっているのです。私は何一つ分離などできずただその感覚が溢れてきているだけです。分離を感じることから悟りの入るのです。その感覚に気づいているのは誰か???から悟りに入ります。