田舎から出てきた若者

東京実家

田舎から一人上京してきた若者が美容院を働くために訪れます。一方実家東京の若者が東京の美容院を仕事場として選びます。どちらが真剣になれるでしょうか???どちらが本気になれますか???間違いなく上京側です。なぜならば働かなくては生きていけないのですから。その時上京の若者は「気づき」にペインボディを観察させます。気づきは主体になります。気づきが「だるい」「重い」「うざい」」というペインボディの動きを観察させるのです。

自我ではない

自我はペインボディを観察できません。自我は何も観察できません。気づきだけが「ペインボディ」「自我」を観察できるのです。ですが観察できた若者は「俺って凄いじゃん」と勘違いします。ペインボディを観察できた俺ってやばくね???となります。これを自我が利用するのです。違います。若者は「気付き」になってペインボディを気づくのです。

自我が乗っ取る

気づきが若者のペインボディを見張り目的を達成します。一人前の技術を得ます。すると自我がでしゃばるのです。俺がやった俺が成し遂げた、俺ってやばくね???となるのです。この動きも気づきが気付きます。気づきがこの自我の動きに気づくから気づかれたのです。つまり自我は気づかれる思考の動きのことです。気づきが成し遂げた気づきを自我が横取りしようとします。その横取りの動きが気づかれない時「俺」がでしゃばることで新たな苦しみを作るのです。これがペインボディの餌になります。