判断
私という存在が存在するという概念が確立しますと、そこからはこの私をどう生き伸ばすかという判断が起こり続けます。それが自動で起こるのです。このことに気づきます。私という概念を確信するから私が幽霊のように霊魂のように現れそしてそれが気づかれます。するとこの私と世界の戦いが始まります。そこから現れる思考は判断、駆け引き、取引となります。ですがそれでいいのです。そのことに気づけばいいのです。気づいているのは誰か???です。
自我の消滅
自我は存在に関心を持たれているから存続できます。幽霊に全く関心が持てないとき幽霊は消えます。自我も同じです。自我に全く関心が持てない時自我が消えます。自我とは存在の確信が継続させるのです。存在を確信できない時、自我は消えるのです。では存在とは何か???存在とはこの自我を生み出す仕組みのことです。気づきとその現れのことです。これだけが存在です。
そうか!!!
そうか、、仕組みがあるから自我が誕生したんだ!!!という気づきが起こった時、自我の存在が露になります。仕組みが自我を生み出したのです。自我は存在していいのです。存在はしていいがそれは本当の存在ではなく真我という唯一無二の存在が生み出す幻影です。幻影ではありますが現れれば気づかれます。なぜならば真我は現れの全てに気づくからです。ということで自我は現れても幻影です。幻影に気づくののが唯一無二の存在、真我であり我々はその真我なのです。
関心が真我に移る
自我は真我によって生み出された幻影であることに気づくともう自我には関心がなくなります。自我は真我のアート作品です。アート作品ゆえにそれは存在しないのです。なぜならば存在するのは真我一択だからです。結果自我への関心が薄まっていき自我は力を失うのです。自我が力を維持できる方法は自我が存在するという確信です。本当は真我が生み出したアートであることが自覚されたとき、自我ではなく真我への関心にシフトします。
関心を失われた自我
関心を持たれない自我は力を失い形骸化していきます。私とは呼ばれますがそれは真我が生み出したアートであって実在はしません。実在は真我のみです。真我が気づくことができるのは幻影だけなのです。どうですか???自我の正体が暴かれてきましたよね???自我は正体を暴かれると消滅してしまいます。なぜならば存在を確信してもらったから幻影として現れていたのですから。