全体が自我を発見する

自我ではない

自我は全体を発見できません。自我は悟りを開けません。自我は目覚めを経験できません。自我は常に発見される側です。存在しないことを発見されるのです。自分という感覚が起こってもそれが認識される側であることが発見されるのです。認識者は誰か???認識する主体は誰か???それが全体である「気づき」です。真我です。

自我

自我はいつも発見される側です。自分という感覚があるならばそれは発見されたのです。気づかれたのです。気づかれたから実在するのか???違います。気づかれたからこそ幻なのです。UFOも幽霊も気づかれたならばそれは幻なのです。真我の活動なのです。

シャワーの音

今浴室からシャワーの音が聞こえます。はっきりと聞こえます。聞こえるからこそその音は幻です。この違いは分かりますか???はっきりと音が聞こえるからこそそれは幻なのです。シャワーの音は確実に聞くことができます。だから幻なのです。認識できる全ては幻以外にありません。認識の主体が「真我」であり真我は真我に気づくことができないのです。ですから気付けた内容は真我の影です。我々は真我ではなく影の方に実体を見出し影に翻弄されて生きて死ぬのです。生きて死ぬこの体も影です。