全体とは同価値の世界

全体とは優劣のない世界

全体だけがあります、全体しかありません。この見える世界が全てです。この見える世界において自分という全体から独立した存在が生まれました(錯覚)。それによってこの自分はこの世で一番価値のある存在になりそれ以外の存在は自分以下の存在になります。つまり自分という独立した存在が誕生した瞬間から価値観に優劣が生まれるのです。存在の優劣は独立した自分という存在の登場からスタートします、逆に言えば全体において重要、重要じゃないという価値の優劣は存在しません。独立した自分は価値がある、価値がないの判断をし始めます。なぜならば独立した自分は不足感の塊でありいかにその不足感を効率良く埋めるかを考えるからです。結果価値があると思う物を優先してかき集めるということになります。

一方全体には優劣がない

この見える世界、全体には優劣がありません。全体として変化し続ける何かはありますがそこに優劣が発生することはあり得ません。全体は全体ゆえにその中に分離した何か絶対にないのです、だからこそ価値の優劣が起こることはありません。価値の優劣とは分離した自分という存在が出現したことによりその自分が何かを得たいという欲求が起こりその対象物に優劣を付けました。つまり自分という存在の確立こそが物事の優劣の諸元です。自分という存在が無ければ見える世界に優劣などあろうはずがないのです。

体は体以外よりも価値が高い、、

この体は体以外よりも価値が高い、、これは人間であれば誰もが思うことです。自身の体以上に価値がある物などあろうはずがない、、これが多くの人の信念です。だからこそ美容整形に何百万円と費やしたり、健康食品に数十蔓延を費やすのです。ですが実際には全体に優劣は存在しません、全体は全体であってその中に優劣はないのです。分離したという錯覚、自分が存在した瞬間から優劣が生まれそれこそがこの苦を生み出す原因になります。

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