炙り出されてくる自我

正体が露わになる

今苦しいのならば間違いなく「自我」が存在しています。苦しみは自我生存確認です。居心地が悪いのならばそれは「自我」がどこかに住んでいるんです。どこにいるんでしょうか??????「自我」はこの分離が100%存在しない世界には存在できません。この世界とは分離した「何か」は存在したくても存在できないからです。するともしも存在できるならば「思考」の中だけです。

ゴミ出ししといて!!!

その瞬間「イラ」「居心地悪」が起こりませんか??????「ゴミ出ししといて!!!!」の言葉でなぜ「イラ」が起こるのでしょうか?????どうやらここら辺に自我生存の鍵がありそうです。ゴミ出しは誰が誰に頼んだのでしょうか??????「妻」が「私」に頼んだのです。その瞬間「違和感」が現れます。その瞬間「苦しみ」が現れます。その瞬間「分離感」が現れます。そこに気づくのです。

居ましたね?????

「ゴミ出しといて!!!!!」は紛れもなく「自我」に向かって放たれた言葉です。この言葉が現れた瞬間「自分」が思考の中に現れ出し「違和感」が起こるのです。そのことを徹底的に自覚します。何も存在していなかったはずが「記憶」から「自我」が飛び出たのです。そしてそれを防ぐ方法は皆無です。なぜならば「ゴミ出ししといて!!!!!」からの自動反応だからです。ここを見抜きます、、記憶から自我が現れ出るということは自我とは「記憶」であるのです。「記憶」の中に生息しているんです。だから絶対に絶対に存在できないにも関わらず「居る」わけです。

ゴミ出ししといて!!!!以前

ゴミ出ししといて!!!!以前には「ここ」に自我など一切存在していませんでした、、「ゴミ出ししといて」が引き金になって自我が記憶から自動的に現れたのです。この「自我」を全員が実在と信じているのです。記憶から反射でしか現れでないこの「自我」を実在と信じたから、、、苦しみ、違和感が起こるのです。ゴミ出ししといて!!!!!の相手は実在しない「記憶」です。

それが分かってだからどうなの???????

だからどうなの??????という質問が起こっている時点で「分かっていない」のです。それが分かっちゃうと「軽く」なります。なーんだ、、、私なんて本当は居ないんじゃん、、、になります。だって記憶が言葉に反応しただけじゃん。。。。です。「自我」の正体を突き止めると、、、、軽くなっちゃうんです、、問答無用で。みんなが思っている私って記憶の自動反応だったんです。