「飲む」という言葉が起こった瞬間

分離の世界に

言葉とは、、「分離」を作り出すツールです。切り抜きです。「グラス」という言葉を使った瞬間「ここ」から「グラス」を切り抜きます。「飲む」という言葉を使った瞬間「ここ」から「飲む」を切り抜くのです。そしてこれらは「空」の影としては絶対に起こりえないので、、あくまで「思考」として起こるわけです。「分離」は影としては絶対に絶対に起こりえないので「思考」としてのみ現れます。

つまり

切り取られた瞬間「夢」が始まります。切り取る、分離は影としては絶対に絶対に起こりえないので、、全ては思考の中で起こるのです。それは影が作り出した夢です。そして夢が立ち現れた瞬間、そこには「居心地の悪さ」が同時に生まれるためそれを解消しようとする動き(思考)が生まれます。ここから不快解消のドミノが倒れて行きますが、、、まさかのそのドミノこそが「不快」を作るのです。

「切り取り」を自覚する

この人間社会で暮らす限りは「言葉」を使わないコミュニケーションは不可能です。ですが同時にこの言葉を使ったコミュニケーションは「切り抜き」を起こします。つまり言葉を使った瞬間「夢」に入り込んでしまうのです。だから人間社会とは夢社会です。では我々はこの社会に依存する以上は、、夢の苦しみを耐え抜かなければならないのか?????違います、、、夢の不快から抜け出す唯一の方法があるのです。それが「言葉の魔法を見抜く」ということです。言葉が起こす「切り抜き」を俯瞰する視座を手に入れるのです。

分離はありえないという認識の中で

分離はありえないという認識の中で言葉を使っても「グラス」という「個別の存在がある」という認識には絶対になりません。「グラス」という「ここ」から切り抜かれた存在は存在しないのですから。その時言葉は「指し示すラベル」に過ぎないことを自覚できます。我々人間業界では完全分離した「グラス」として名前を使っていますが、、これからは完全分離はあり得ないという認識の中で「グラス」という言葉を使うのです。

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