意織→セルフイメージ(反射)→反射言動

次々に

目が開く時、先ずは意織が芽生えます、、これは体を持つ存在全員に起こります。次に自動的にセルフイメージが湧き上がります(記憶をベースに)次にそのセルフイメージが反射行動を起こします。意識が芽生え「俺は会社員の鈴木だ」が起こり「仕事に行かなくちゃ」が自動連鎖で起こります。セルフイメージは継続し、このセルフイメージに準じた反射がただ起こるのです。

目が開く時

意識が芽生えます、と同時に寝ていたという気づきが起こります。何かから目覚めたという自覚です。この何かこそが本当の我々(自覚なき我々)です。意識そのものの瞬間があり次に意識の中で「セルフイメージ」が起こるのです。これは全て自動です。反射です。誰にもここに自主性はありません。朝日がセルフイメージの起動になるのか目覚まし時計なのか、そこは全くの反射です。

セルフイメージ

セルフイメージが起こり、、、次に次にと自動反射が起こり続けます。「いや、私は意識的に行動している」そう思っているだけです。その意織的な意織こそが勝手に起こったのです。そうして今このブログを「あなた」は呼んでいます。その自動反射の連続の中にこの「ブログを読む」が含まれていたのです。

呼んだ後

ブログを読んだ後にも次の反射が起こります、、私は何も反射が起こりませんでした、、は絶対にありません。このことで次に何かは起こるのです。昼寝かもすれない、ランチかもしれない、瞑想かもしれない、、、何かが必ず起こります。これが次の日も次の日も次の日も起こるのです、、、死ぬまでこれが続きます。

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