覚者への憧れ

それも思考

エックハルトトールみたいになりたい、プンジャジに憧れています、ガンガジのような真の心境に、、、多くの方(本当は居ない)は非二元に触れていきますと見かけ上の覚者に憧れます。いつの時代も目標にする人っていますよね?????今回はあの本を書いた有名な覚者です。ですがこれって大きな落とし穴です。今回ばかりはこの作戦失敗しますよ。なぜか?????憧れるその人の中には誰もいないんです。

いやいやしっかり喋ってますよ!!!!

そうです、勿論喋るし「私は、、、、」で始まる話もします。ですがそれは敢えてやっているだけです。意識して「私」をやっているのです。この体の中には私なんて居ないことを自覚(自ら覚る)してやっているのです。だからその演じられた役を憧れるのは本末転倒なんです。見かけ上の覚者を通じて演技が行われているだけです。本質、根源から現れ出るその言葉には「私」があっても、、根源であるという自覚の元にそれが起こっているのです。

根源から根源であるという自覚の元にその体から言葉がでる

言葉はどうしてもこの体を通じてしか発せられることはありません。ですから言葉はその見かけ上の覚者の体を通じて起こります。ですがその体の中に「自分」が居るという概念はもうありません。根源が根源であるという自覚の元に「言葉」だけがその体から発せられるのです。話しかけられれば記憶が「人間の自覚」を起こしますが、、、と同時にそれが「記憶から現れでた存在」であることに気づく、、が起こるのです。

周囲の反応

周囲は「覚者の中に自我がある」という前提の反応を起こしますが「覚者の体」では『「記憶が作り出した自我」に向かって反射が起こっている』という新しい認識が起こっています。周囲の反射と見かけ上の覚者に起こる反射に違いがあるわけです。「記憶から自我が起こることに気づく」認識が起こっているいます。どこからそれが起こっているのか????根源です。

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