人間様

お互いに

我々はお互いにこの体の奥深くには「私という神様」が居てそれが思考をコントロールし行動をコントロールし感情をコントロールしていると信じて生きています。ですが本当はこの体の奥の私という神様は何も何もしていません。ですが思考は「その前提」で起こり続け、周囲からもそれ前提の「言葉」が現れでています。だから誰も誰もが騙されるのです。これだけテクノロジーが発達したにも関わらずまだこの人間様信仰が崩れていないのです。

周囲

我々は物心がつく頃には「私神様が居る前提の会話」を覚えていきます。全言葉が私神様が居る前提の会話ですからここに抗うことはできません。ですが幼少期感じていたこと「大人は何か鈍い」という感覚はここから来ていたのです。「子供の方がハッピーだ」という感覚はここから来ていたんです。「私神様」ありきの言葉の数々が「重さ」を生み出し根本的な閉塞感を生み出していたのです。

勉強するしない

勉強するしないことと、、、この世界の価値は何も関係がないことは最初から分かっていました。私神様が勉強しようがしまいが、、この世界の価値には一ミリたりとも影響を与えないのです。私とはその揺るがない価値そのものでありこの小さい体の中の「神」ではない。その時「勉強しないといけない」という強迫観念は起こりようがありません。

いつの間にか

いつも間にか「私」はこの体の中の「私神様」なのだ、、そしてこの私神様はこの体を守って生き抜かないといけない、、という強迫観念が染み込み、、、先ずはこの体という優先事項が起こり、、ほとんどの時間をこの体のために使うようになるのです。世界は重く厳しいのだ、責任を持ってこれを守っていかないといずれ大変な目に遭う、、、です。

私神様

私という神様がこの体には居る前提の思考、感情、行動が今も今も起こっていますが、、真実では「居ません」私という神様はこの体の中には存在しないのです。「私という神様が居る前提の言葉」が日本中、世界中で聞こえるから「居る」と信じる動きが今もまさに起こっています。そしてその思考の動きが、、「苦しみ」「孤独感」「分離感」を起こし続けます。