借金1億円

事実と思考

借金1億円を急に背負ったとしましょう。その時「苦しい」が湧くはずです。ですが熟睡中は「苦しく」はない。映画に夢中になった時「苦しく」ない。やけ酒飲んで泥酔中も苦しくない。借金1億円という事実は「苦しい」とは違います。「借金1億円を所有し地道に返さなくてはいけない私」という思考が湧いた時「苦しく」なるのです。悟りとは「借金1億円」を忘れてしまうことではありません。事実を徹底的に見抜き、そこから湧いてくる思考を「苦しみを作らない思考」に変えてしまうことです。

神棚の私

借金1億円は事実です。通帳に記載された金額は事実です。では「借金1億円を所有した私」は事実でしょうか????これは事実ではありません。私とは「神棚に祀られた神様」のようなものです。実体がないのです。実態のない神が借金1億円を所有することは構造上できないのです。では厳密にはこうなります「この私と呼ばれる体が借金1億円を所有した」です。私は多くの場合「体以上のもの」として認識されています。思考を生み出し感情を生み出す私です。ですが何度も伝えますが「私」とは神棚に祀られた神のようなもの、、、その「私」は思考も感情も起こすことは不可能です。

思考も感情も起こせないのならば

借金1億円を背負ったのはタマタマです、偶然です、、そこには「私」による自由意思がないのですから。この時点で「重い重い責任」がガバッと落ちます。「借りてしまった人に申し訳ない」の意味も、、、「責任を追うことなどできないなぜならば自由意思がないから」を心底思うことができます。ただ借金を法律上返していくことになります。そして成功者を見ても「羨ましい」が湧いてこない、、、なぜならば彼も彼女も「自由意志」ではなく「成功」しているからです。

全自動

全自動の「ボード版人生ゲーム」で、、、上手くいっている人を心底羨むって不可能です。全自動ですから、、、多くの場合興味すらなくなります。ですがここはボード版人生ゲームではなくリアル人生ゲームです。全てが全自動であり「私は神棚の神」であることが分かると「重さ」だけが無くなるのです。その時「深刻さ」の中で借金を返すというのが不可能になります。