思考が先か、行動が先か

全ての思考も全ての行動もただ湧き上がるのみ

本当のことを言ってしまえば行動が先でも思考が先でも実はどちらでもいい、なぜならばどちらもただ湧き上がるだけだからです。ただ湧き上がる思考、行動に委ねるしかなく人生とはこれを堪能するだけなのです。思考も行動も湧き上がるだけならば我々はそれに従うしかありあせん。ではその思考と行動に因果関係はあるのか?ということですが実は何もありません。湧いてくる思考も適当、湧いてくる行動も適当、、ということになります。

湧いてくる行動に先んじて思考が湧くこともある

アメリカに旅行に行く、その行動が湧いてくる時に、、、その前にアメリカに行こうが湧いてきます。思考は好き勝手に湧き続けますがそれが行動に繋がるか否かは何も分かりません。ただ行動が決まっている場合にはそれに合わせて思考が湧く場合がある、、これだけです。どちらにしても「自分」にはこれを決める力などあるわけがなく、、そして自分など居ません。居ないのだから「決める」などあり得ないのです。

もっと良い方法があったのでは、、という苦しみ

人生とは後悔の連続です、あの時もっとこうしとけば良かった、、あの時あの選択をできていれば、、、常時このパターンです。ですがこれはありえないのです。先ず大前提として全ての行動は根源からの現れでありそこに自分は完全非関与です、そしてその決断に関してあらゆる思考が湧きますがその思考すらも非関与です。つまり全ては根源の成すがまま、、個人などそこには何の関与もできない、、そして個人は居ない、、これが答えです。我々は個人の人生に関して責任を持って運営してきたという自覚を持っていますがそれは大きな勘違い、、何一つ個人は関与していないのです。これを絶望と取るか無責任と取るか、お気楽と取るか、、それすらも根源から湧いてきます。

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