盲信

「私神様」

「私はこの洋服を買ったら幸せになる」=「私神様にこの洋服をお供えすれば喜んでもらえるはずだ」です。私とは思考が作り出した産物ですから「神棚の神」のようなものです。周囲はこの神棚に向かって「鈴木」「田中」「佐藤」と呼んできます、、、呼んでくるからこの神棚の神様は「実在」するのではなく「名前という思考」として呼ぶのです。周囲が呼ぶこの「私」を祀り拝み続けるのが私物語です。

私は祀られた神

全員の体にはこの祀られ存在「私」が居て、、、、全員でこの神様を名前で呼びあっています。周囲を皆様と呼ぶのはまさにこのことであり「人」様です。。。最重な点はこの「私様」は思考が作りだした存在ですから幸福になどなれるわけがなく、、、不幸にも絶対になれない。。。「私様」が不幸になっていると感じるのは「私様」の責任ではなく「私様」が実在して幸福になれると信じているからです。どれほど高価なお供えをしても気遣っても気を使っても「私様」は決して幸福にはなれません。だから苦しいのです。

気づく

そこにいつ気づくか?????ここが重要になります。私は幸福にも不幸にもなれるわけがなくそのことに気づけないから「苦しみ」だけが続くのです。中途半端に「期待と高揚感」を持って私神様のために走り続けますと、、「辛い」が倍増していきます。「私神様」は一度も幸福にも不幸にもなったことがないのです。