地球

『我々は自身のことを草だと信じてきた存在です。左右に揺れ動く存在であり、栄養をしっかり吸収して成長する存在であり、太陽の光をしっかりと吸収する存在であり、水分をしっかりと吸収する存在です。コツコツコツコツ逞しく成長してきました。自分の意思と根性で。』こう勘違いしてきたのが自我の動きです。本当は左右に揺れるのは風の動きであり、栄養を吸収するのは浸透圧の動き、太陽の光は細胞内のミトコンドリアの動き、水分吸収も浸透圧の動きです。何一つ草は「自由意思」など使わずに成長してきたのです。全部反応反射です。

自分が草ではないとすると????

草を成長させるために『努力と根性で担ってきた存在「私」』は実は居ないんですか??????そうです、居ません。。。そしたら私って要なし?????そうです。用無しです!!!!草は勝手に育ち勝手に枯れます。分かりました、、じゃあ、、私ってどこに行けばいいんでしょうか?????これからどこで暮らすんですか????草の中にはもう居れませんよ、だって何もしていないことが明白になりましたから。大丈夫、大丈夫、、私は実は「意織」なんです。「意織」はどこにも属さず、そのままでいいんです。というかどこかに属さなくても「存在」できるんです。草がなくては「意織」は存在できませんが草の中に存在しなくていいんです。意識は草でもあり、、実はこの見える全ての中に存在しています。

草が枯れれば

草が枯れれば意識も消滅します。だから「私は草だ」は間違ってはいない、、ですが草の中の住人ではないんです。この意識は全部なんです。というか意識の中に全現象が収まっているんです。意織=草も含めた全部です。そして草が枯れると意織も消え失せ全部が消えます。だからこの草は超大切ではありますが、、かといって「私=意織」は草の住人でもないのです。

悟り

悟りとはこうやって徐々に徐々に勘違いの糸くずを解していくことです。勘違いという複雑に絡まった糸くずを徐々に徐々に解していきます。そして完全に完全に勘違いの絡まりが解れる時「悟り」です。本当は見える世界(草、太陽、雨、大地)全部なのに、、「草の中の住人」と勘違いて生きてきました。これからも草の中の住人感は起こりますが、、それは「住人」ではなく「住人感」です。そのことが本当の意味で理解できますとゴールです。