歩く

意識

歩く時、意識上は何が起きているのでしょうか???体に意識が行きます、腕、足、かかと、股関節、意識を連動させて体の動きを現象化させていきます。変化を意識が作ります。それに合わせて視界という現象に変化が起こります、そこに気づきます。体への能動的意識からの現象化、視界の変化という現象に気づくという意識が加わります。さらにそこの思考が加われば思考にも意識が行き、ビジョン化されそれに気づく意識が現れるのです。

歩いている時ですら

歩いている時ですら、、我々はストーリーの世界、ビジョンの世界に住んでいます。歩きはそのままクリエイティブ活動ですが思考の内容はそれとは全く異なるビジョンを描くのです。本当は今「神」としてクリエイティブをしているにも関わらず思考の中身は「私が道を歩く」です。全く異なった世界に住んでいるんです。今神としてこの視界を作り上げているにも関わらず今「私はこの道を歩く」という世界に居るのです。

疲れた

疲れるのは当たり前なんです、、神としてクリエイションをしながら、、、「私は道を歩く」という幻想を生きています。常に映画が流れている、映画を作り上げているのですから大変疲れるわけです。24時間映画制作をしているんです。神が現象をクリエイトしながら(至福)その中に「私は道を歩く」というビジョンを描きそれを気づく意識を作ります。この映画は上映中ひたすらに「違和感」が出現しますから疲れるのです。

何これ????

人類はいったい何をやっているのでしょうか????自らが意識で全景色を作り上げておいて、、「私が固定されたこの外部環境を生き抜く」というプレイをしています。これほどの自虐プレイはあるのでしょうか???いつから我々はこんな勘違いをされられるようになったのか???とにかく謎です。

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