最終決戦

分かる

「分かった」が起こった時、、その「分かった」を私が所有する動きが起こります。真実を発見した「私」の誕生です。真実とは「私」が居なかったということですが、、この真実をまさかの「私」が所有するのです。この矛盾、パラドックス、、が平気で起こるのですから面白いのです。グルは、、「あなたがたはまだ分かっていない」と信者を集めますが、、「分かっていないあなたがたが実は存在しない」という理解が悟りです。

何も起こっていない

ストーリーの側から見ると、、、実はここでは何も起こっていません。この体を私とする動きが起こり、あの体を「あなた」とする動きが起こり、、話すが起こり、聞くが起こる、、ただそれだけ。。真実ではただその動きがいまここで起こるのみです。何それ????味気ない?????虚無?????そうです、、ストーリー側から見ればそうなります。ですがこれは虚無でもなく虚しいでもなく味気ないでもない、、ただ在るという感覚、平和、愛、安堵が起こります。そこに。

話しかけられれば

そうは言っても話しかけられれば、、「私」という動きが起こり、、「あなた」という動きが起こり、、、ストーリーが始まります。ですがその一方で、これをストーリーと気づく動きが現れます。ストーリーの始まりに気づく動きが起こります。話しかけられれば「反応」が勝手に起こりますから、、それを止めることは不可能です、、ですがこの反射に気づく動きが起こるのです。

繰り返し

いまここで仕事をすればストーリーに引き戻される動きが起こるでしょう、ですが同時にその動きに気づく動きが起こります。これが何度も続きます、、何度も何度もこれが続きます。いまここに戻り、ストーリーに入る、入ると同時に入ったことに気づく動きが起こり、、いまここに戻る。これをやっているうちに、、ストーリーに入るが起こらなくなる、、話しかけられても、、いまこことして反射に気づくが起こります。

(Visited 3 times, 1 visits today)