何かに集中する、瞑想の極意

瞑想とは目を閉じるだけではない

日本の武道、茶道など、あれは瞑想です。動きに完全集中することで無我に入っていきます。型に入り込むことで型になりきり自分が型に溶け込んでいくのです。この時自分はこの世から無くなります。人は何かに集中し始めると、、自分が居なくなるのです。目の前の人との会話に集中しますと、、自分が居なくなります。この状態を人は無意識に気づき毎日のことでこれをやっています。仕事が好きな人は仕事に集中しやすいのです、キャンプが好きな人はキャンプに集中しやすいのです。人とのお酒が好きな人は会話に集中しやすいのです。

楽しいは実は集中

集中からくる無我状態を覚えてしまうと、、刺激を求めるという行為に興味がなくなります。多くの人がパチンコ好きなのは大音量の音の中に入り、パチンコ玉が入るか入らないかで持ち金の増減が決まりれるというリスクを背負うことでゲームに集中できるからです。つまり集中できるならばなんでもいいのです。集中すると自分が消え去り全体にその場でなれます。集中からくる恍惚状態は全体そのものです。何かに集中していれば、、1日何回も瞑想をしているのと同じです。

その場で集中に入る方法

ではその場で集中に入る方法をお伝えします。ただ目を閉じます、、そして先ず視覚から入る現象を完全にシャットアウトします、この時、、視覚から入っていた目の前の現象は完璧に無くなります。無くなっているように見えるのではありません、無くなるのです。視覚から入る蜃気楼が完全に無くなります。そして聴覚から入る蜃気楼に集中します、触覚から入る蜃気楼に集中します、嗅覚から入る蜃気楼に集中します。五感ではなく三感から入る蜃気楼に集中するのです。視覚から入るこの自分の体という蜃気楼は完全に無くなっていますから耳、肌、鼻という蜃気楼はもう存在していません。ですからそこには音、感触(触)、香り、、そのものが起き上がっているだけなのです。それを感じる自分(蜃気楼)は消えています。この三つに完全集中するのです。全体からの湧き上がりに完全集中します、、するとはっきりとそれらが静寂から湧いていることに気づきます。この静寂こそが全体です、そして音、感触、香り自体までも静寂に包まれているのに気づきます、音、感触、香りが静寂として湧くのです。激しい音の中に静寂を感じることができます。全て静寂で出来ていることが分かります。色(現象)が空(静寂)から湧いているのを感じます。そしてそこから静寂(空)に入っていきます、静寂そのもになっていきます、、最後に静寂だけになります。

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