確信犯

自我は問題解決など求めていない

自我は実は問題解決を求めていません。クレーマーと呼ばれるような人々は、、わざわざクレームできるお店を探し求めています、深い場所で。クレームしたくてしたくてしょうがないのです。そして面白いことにクレーム中は本気で怒っているのです。本気で頭にきています、ですが本心では求めているのです。なぜこんなことになるのでしょうか?????簡単です、、自分という存在から起こる居心地の悪さに辟易しているのです。だから常にどこかで怒りを発散させたいのです。

怒り

旦那さんの浮気が発覚、、、怒り心頭で慰謝料請求、、、、ところが、、その女性の表情がどこか晴れ晴れしています。被害者であるにも関わらず旦那に対し怒りをぶつけれることで晴れ晴れしているのです。どこかでバトルを求める動きが生じています。「自我」という存在をベースに生きますと、、常に居心地の悪さがあり、、この居心地の悪さをどこかでぶつけたい、、その大きな渦が実は旦那とのトラブルを求めます。

自作自演を見抜く

あれ、私っていつもクレームばかり、、あれ私っていつも嫌味なことやってる、、、どこかでここに気づかないと、、この自我の自作自演の罠から抜けれなくなります。自我ありきの居心地の悪さを、、対象で解決しようとしてもエンドレスゲームです。そうではなくこの自作自演を見破るのです、見破るとは理解する、そのことを悟るということです。自我の動きを悟り、、悟りを悟っていきます。

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