大我の自覚

絶対安心領域

いまここに安らげるようになりますと、、、どこかに行きたい衝動が減っていきます。どこかにいかにと損、今日という1日をもっと大切に、、、、という焦りが起きないのです。だってここに全部があってここで全部が行われているのに、なぜ??どこかに行く必要があるのでしょうか。いまここが満たされないからどこかに行こうとするのです、だったらどこへ行ってもそれは同じです。

高揚感

多くの方が求めるのは実は高揚感です。この私は常に不足しているので、、何かを埋めることで高揚感を味わっているのです。それは安全安心という質のものではなく、、ただの刺激に過ぎないのです。なぜここに安らごうとしいないのか???それは全くここが居心地が良くないからです。でがどうしたらここが居心地が良くなるか???そのためにこのブログは書かれています。

居心地の悪さを感じているのは誰???

ここに気づかなくては一生このままです。居心地の悪さを感じているは誰でしょうか???私ですよね????違うんです、、私は感じられている側で、、、居心地の悪さは、、私ではなく大我が感じているんです。ではなぜ大我は居心地の悪さを、、解消しようとしないのでしょうか???それはこの世界は縁起、、化学反応しか起きないのです。その居心地の悪さに誰がどう反応するかは誰にも決めれないのです。つまりただ不断の現象が起き続けます。

大我には意志はない

つまり「居心地が悪い」を大我は直接解消するような意志はないのです。大我とはただ気づくのみ、、変化反応に気づくだけです。その流れの中で自我がこれを解消するという動きがまた起こり、その期間は居心地の悪さが続くのです。このどうしようもない反応の連続に気づくと、、もう自我が何かを成し遂げようとか、解消しようという発想が消えていきます。大我として全現象を見守るという新しい視点が芽生えてきます。そしてその時、、私はこれを求めていたんだ!!!という感動が起こるのです。

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