道という世界

タオは求めるものではない

老子という偉人が説いた世界「道徳経」があります。この世界観はまさに悟りの世界、、万物の現れ、タオという世界観で表します。タオは個人が求めて手に入れる世界ではない、、タオそのものの中に個人が現れ、万物が現れ幻想としてこの世界に出現する。現れるものを求めるのではなく現れる原理原則こそがタオです。タオを手に入れる???そんなことではありません。タオの中に全現象が現れては消えていきます。

原理原則を知ったところで何があるんだ????

現象に囚われてしまっている個人という現象は損得ですか物事を判断できません。これを得る場合どんなメリットがあるんですか????となります。ですからタオを説けば、、、で???どんなメリットがるんですか???となるんです。ですがメリットデメリットを追いかけているうちは苦しいままですよ、、という教えがタオです。

タオを体現する呼吸法

タオをいかに頭で理解しても結局はまた思考の渦に囚われて苦しいままです。タオを頭で理解するのではなく体現しなければ意味がありません。その方法の一つに呼吸法があります。呼吸に意識を向けることで、、それまで思考に意識が集中していた状態から解放されます。タオを理屈として理解して思考への意識のフォーカスを解くことができれば御の字ですがそうは問屋が卸さないでしょう。思考に意識が意識することを脱却するために呼吸に意識が意識するように導きます。呼吸はいまここで思考中毒を解除します。思考中毒が解除された時そこにタオが広がります。

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