開放性が私(非開放性)を再吸収する

質問が消えるまで

この世界は開放性の中で繰り広げられる閉鎖性(自我)ゲームです。この舞台は間違いなく開放性でありですが自分とは閉鎖性、非開放性の存在です。開放性の中で非開放性(自我)が活動するのは矛盾しています、そのため非開放性(自我)は常に常に異分子扱いを受けるのです、この開放性の中で。つまり存在をイメージした瞬間に(お前は誰だ???)が湧いてきてそれがこの体に反応し違和感、憤りとなって発生します。その憤り、違和感を非開放性(自我)はこのストーリーの中で何を手に入れることで解消するという旅にでるのです。これが開放性が作り出した非開放性ストーリーです。

開放性が開放性に目覚めると

このカラクリが溶けて非開放性である自我が開放性の中に溶けてなくなった場合(開放された)、、質問が出なくなります。それまではなぜ?????がお前は誰だ????がエンドレスいに開放性の中で起こり続けるわけですが、、これがもう起きないのです。開放性が非開放性(自我)を認識できないからです。すると小さい子供のように真の安らぎの中でただ遊ぶが始まるのです。

開放性はいつ私(非開放性)を再吸収するのか????

私はこの開放性の中で存在する自体が苦しいのですから、、開放性を探しまくるわけです、、どこにあるのか???です。そしてどうやらこの世界(非開放性のドラマ)には存在しないことに気づきます、この気づきは開放性の中から起きます。すると関心が開放性に向かいます、、このドラマは関心が投影された世界ですから、開放性に関する情報が出現し始めるのです。そして開放性が開放性に関する情報を読み込み続け、、非開放性の自我の存在に関心が行かなくなることで非開放性の自我は感覚が薄れていき最終的には忘れ去られます。

開放性として、、

そこからは開放性の中でこの見かけ上の体が、、真の安らぎの中で活動します。そこにはかつての非開放性はこの体の中には存在せず周囲の非開放性に見える人間関係の中で生きていくのです。真の安らぎ真の平和の中で子供が遊ぶような活動が始まります。

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