行動から観察へ

何かをしなければの終焉

私たちは、、幸福になるためにやるべきことをやってきました。そしてやるべきことをしっかりとやる人が評価称賛を受けやるべきことをやらない人は評価称賛を受けないという社会を作り出したのです、見かけ上。つまり言葉だけでなくしっかりと行動する人が評価を受けるということです。ですから我々は苦しい時、、、やるべきことを一からやっていこうと、、こうなります。ですが残念ながらやるべきことを一生やっていっても本当の苦しみは消えないのです。

本当にやるべきこと

我々がこれから本当にやるべきことは「観察です」ただこれだけ、、これだけ????そうです。何を観察するのか????ただエゴの活動、自我の動き、、を観察するだけです。なぜそんなことでいいのか????それはこの苦しみを生み出している、、大元は、、、、世間でも社会でも友人でも知人でも配偶者でもなく、、、エゴなのです。えええ????そうです、、どんなに社会を政治を会社を毒しても一生この苦しみは癒えないのです。なぜか????それはこの苦しみとは、、私という感覚こそが作り出しているからです。

エゴは観察されるのを一番嫌う

エゴは実は観察されるのを一番嫌うのです、なぜか????観察するのは誰ですか?????エゴをエゴが観察するのは不可能ですよね????そうです、、エゴを観察するのは間違いなく自分じゃない「何か」なんです。何かにしか「自分」を観察できないんです、構造上。だから観察なんです。自分が自分として何かやるべきことをやる!!!その時代は終わりです。何かとして「自分」を観察する、、、これによって何かは「自分」という感覚を徐々に手放していきます。

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