完璧の描写

隕石の落下

今目の前で隕石の落下が起こったとしましょう、これは人類にとってはとんでもないことです。地球史上最悪の事態かもしれません、、、、ですが、、、冷静にこれを分析すると全く違う真実がわかってきます。今ここで起きている現象は「別次元の完全完璧」の投影です。別次元の完全完璧から現象が起き上がり、、それに気づくという現象が起き上がり、、故に「我あり」という現象が起こっています。別次元の完全完璧の投影において悲惨とか最高とか恩恵とか罰とか、、、あるわけがないんです。それらの発想は「この体の中に(我あり)が存在している」という思考感覚が起こしたストーリーです。

壮大な映画を見ている

隕石が落ちれば世界中で大災害が起きるかもしれない、、そしてそれはこの体にとってはもしかしたら大変かもしれない、、、ですが、、、そういう現象が起きているだけです。だから不幸、惨め、孤独、、、、という感情が起こって当然といのは嘘です。真実ベースでは、、、何が起きようと、、、真の安心が壊れることはないのです。「この体の中に(我あり)が存在する」という感覚こそが惨め、不幸、孤独を作り出すのです。そして本当に大惨事になればそのような発想は抜け落ちます避難に専念しますから、、常に真の安心が消えることもないのです。

真の安心の中で

もしもこうなったら、、もしもああなたら、、、、と思考することで、、今悲惨、不安、苦しみを作り出しています。今もしも大惨事が今ここで起きていないのならば、、それらの感情は無駄です。重要なことは「この体の中に(我あり)が存在する」が嘘だということを見抜くこと、、そして真の安心を今ここで得ることです。本当に大惨事が起きた時には「この体の中の私」に構っている場合ではないので実は真の安心の中で行動が起きます。

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