城としての自由意志はない

自由意志のカラクリ

我々は浮かんできた思考を自由意志と思っています、、そうだ、マック行こう!そうだ、スタバ行こう!そうだ公園行こう!!!あらゆる選択肢の中からそのアイデアをチョイスなどしているわけはなく、、、浮かんできた思考に乗ることでそれを自由意思と言ったりします。そして厄介なことに自分にも自由意志があるのだから他人にも当然あるはずだと固く信じるわけです!こうして自由意志と自由意志の関係性が始まったという大誤解を始めるのです。

独立した城であるには自由意志は必須

砂上の上の城を自分自身と信じるためには自由意志は超重要になります。これがあることで俺は存在しこの城の主人であると思うことができるのです。ですが上記のように自由意志はないのです、、そしてこの城には自分が居るという思考も勝手に湧き起こったものなのです。そしてこの城には自分が居るのだから相手の城にも誰かがいるに違いないという夢を見ているのです。

砂とは何か???

全部の城は砂でできているわけですが、、この砂は何でできているのでしょうか????それが空の現象化です、空が現象化したのが砂であり、、その一部が城として現れたのです。そしてそこには思考というものも現れこの砂を思考という観念で見るという現象が現れました。観念という現象を通じてこの砂を除けば、、あらゆる夢が広がっていくのです。時間があるという現象、空間があるという現象、、、これらが混ざり合いドラマが生まれます。

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