普通の日常がいかに奇跡なのか
朝起きたときに、、普通に太陽の光が燦々と輝きます。これって別に当たり前のこと、太陽があって地球があって、、、こう個人は思うわけです。ですが太陽が輝いているというこの映像、、この映像を作り出すためには、、何も輝いていない光が必要になります、その上に太陽の光が重なることでそれに気づくが起こるのです。この何も輝いていない光こそが私の本質です。
友人と会話ができること
会話をするためには音に気づかなくてはいけません、、この音に気づくということを可能にするには音の下に静寂がないといけないのです、、常に静寂が下にあるからこそ、、、音に気づき続けるということが起こるのです。静寂の存在なしに音に気づき続けることは不可能なのです。
自分が居るという誤解を作る
我々が自我を維持し続けるためには自分が居るという思考を保持し続ける必要があるのですがそのためには思考に気づき続ける必要があります。そのためには無思考という状態が元になければならないのです。これが我々の本質なのです。我々はいかなる時でも本質ではない時はなにのです、、本質が本質であり続けるからこそ、、この人間ドラマも成り立つのです。勿論この人間ドラマは苦しいわけです、、その苦しみに気付けるのは、、至福が根底にあり、、我々の本質が至福だからこそ気付けるのです。
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