世の中の感動ドラマって結局何なんだ?

ハッピードラマを目指す

世の中って七転八倒、右往左往、喜怒哀楽、様々なドラマを歩みそれに感動するストーリーが多いものです。ですがこれって結局悟りの観点からしたら意味ないんでは????となります。そうです意味はないんです。この世界は無限の表現の場所でしかなく、、これがいい、、これが悪いっていう特定の解釈は真実とは何も関係がないのです。真実には解釈はありません、真実とはたった一つのエネルギー。です。たった一つのエネルギーが変化するだけです、そこに意味を付けるのは自我ストーリーの話です。

プールに浮かぶボール群に名前を付けて遊ぶ

幼少期プールの上に多くのボールを投げて遊んだりしました、そのボールが集まって魚の形をしたり、犬の形をしたり、蛇の形をしたりして子供は喜びます、魚が居る、犬が居る、蛇が居る!!と子供は喜ぶわけです。ですがこれらの動物は数秒ごとに形を変えていきます、、、もしかしたら魚と犬がくっ付いて合わさって、、、これにドラマをつけるならば魚と犬が衝突して魚が消えちゃったとなります。ですが実際にはそもそも魚を犬も実在しないのです。

我々はこの現実世界でそれをやっている

我々はまさにこの現実世界でそれをやっています、ある特定の動きに対し犬、猫、魚、花、、、と名前を付けはしますが実はそれは実在ではなく、、ただ見える輪郭に名前をつけているだけなのです。そしてまさかの人間も同様です。つまり本当は何もかも実在ではないのです。輪郭に名前をつけてそれが動くからドラマが始まったように見ているだけです。だからこそ世界は私の思うようにはいかない、、となるのです。

苦しみからの解放

この世界の苦しみとは無いものをあると信じて、、そのドラマに入り込み、、思うようにいかないと嘆くことです。ないものをあると思い込むことで、苦しい、違和感を覚え悩んでいるのです。本当はこの世界には何もなく、、生命の動きだけがあるのです。それが理解できると、、、こう生きねばならぬ、これが我が人生、、とかどうでもよくなるのです。その時本当の解放が起きます。

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