ただ観察するの深い意味

観察する存在は悩むことができない

全ての言動は全体、気づきの意識からただ起こっています、、、ただ起きています。。。怒りの感情がガッツリ起こったとしてもそれは全体、気づきの意識から起こりました、、、これを全体、気づきの意識として観察します、、、これを自分ごととは捉えず、、ひたすらに観察するのです、、、すると摩訶不思議、怒りの感情がに伴って思考が湧いてきません、、、直ぐに静かになります、、なぜならば怒りの感情を観察する全体、気づきの意識は静寂そのものだからです。

怒りの感情を観察する全体は動揺することができない

怒りの感情を観察する全体、気づきの意識は観察しても動揺することができません。全体、気づきの存在ができることは自分ごとに捉えるが起き、それに対する思考を起こす、、しかありません。。。これが苦しみのメカニズムです。ここに入ると苦しくなりますから、、ただ怒りの感情を全体、気づきの意識として観察します。すると、、それで終わります、静寂になります。

怒りの感情を個人と結びつける

ただ全体、気づきの意識から湧き上がる怒りの感情を、、自分が発したと勘違いが起きますと、、自分がこれを解決しなくては、、が起きます、、これで思考の湧き上がりがエンドレスに続きます。何度も言いますが怒りの感情はただ全体から湧き上がりますから、、これをただ観察します、全体、気づきの意識として、、、怒りの感情すらも全体、気づきの意識に戻る道具にします。そこから静寂、至福に入ります。