全体として存在しなぜ人の言葉で傷つくことができるのか???

無我夢中の状態で

何かに没頭して無我夢中に、、、この時至福に居ます、全体に居ます、神に居ます、、この状態で誰かから悪口を言われた、、、、気にならない、、、なぜならば既に至福だからです。至福に居るとは現実離れではない、、、いや現実という現象の中で、、、現象そのものになっている状態です。その悪口すらも現象の現れ、、、気にならない、、、悪口そのもの、、、です。

批判を気にするスターは、、、

批判を気にするスターは、、、全体になりきれていない、、、、成し遂げた功績をこの個人が所有している、、だから苦しい、、、この時に批判を受けると、、、テンパってしまう、、苦しさが重なる、、、功績よりも無我に入るそのことこそに至福を覚えるならば、、、周囲に対する関心が薄くなる、、結果批判も気にしない、、、

自我全開プログラムを脱す

悟りとは自我全開プログラムが落ちることです、、このプログラムは非常に強固で簡単にはアンインストールされません。ですからゆっくりゆっくりこの自分はプログラムであり、、このプログラムを紐解く必要があるのです。音楽とは音の組み合わせであり、、、これに実態はありません、あの曲が好き、、という時、、それは異なった音の組み合わせのことです。。。。この自分というプログラムも、、、言語の組み合わせで形成されており、、実態がないのです。音の組み合わせです。。。

だからこそこう生きよう、ああ生きようとは真逆

もっと自然体で生きようよ、、、、、アベシ、、、、こんなメッセージが一切意味をなさないのは、、、生きるのが個人だからです。。。そうではなくこの個人をいかに解体させるかです。。。今を生きよう、、、、、ヒデブ、、、、今を生きるのが個人ならば、、、何を今やっても苦しい、、、個人に向けたあらゆるメッセージはその瞬間の幸福を得れても、、しれは全て一時的なまやかしです。

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