「人生という旅」の完全否定

旅はない、夢の中でしか

人生を旅に重ねることがります、人生という大海原を彷徨って、、、のように、、ですが実際には人生は存在しません、、、人生があると断言するには記憶が絶対的に必要になります、ですがその記憶を司る脳が実在していないとしたらどうでしょう???人間の体は五感で感じることができる蜃気楼です。蜃気楼ですから実在していないのです、すると脳も実在していないことになります、すると記憶とはどこに存在するのでしょうか、、、記憶は空(ゼロ、サーバー)にあります。

色は現象のみ、色に記憶はない

この世界は色(現象)です、、現象ですから物があるように見える世界です。見える、、ですから実際には存在していないのです。すると記憶を司る脳も実在していませんから記憶はこの現象界には無いことになります。記憶は空(ゼロ、サーバー)に在ります。その証拠に過去の人生全部が今ここに有るという実感が有る人はいないでしょう。記憶とはその時その時に蘇り湧き出すものなのです、全体(空)から。この記憶があるかた「自分」という感覚が全体から起こり、記憶が全体から湧くから人生というアイデアも湧くのです。

本当はこの色(現象)だけが在る

本当はこの個人もゼロからの記憶がそれを起こし、、この個人の人生も空からの記憶によって形成されています。どこまでいっても空の独壇場、色はその独壇場を支える場所です。記憶と個人の二人三脚でこの人生という旅が完成されます。記憶があるから個人が居る、個人がいるから記憶ができる、、、現象しか無かったは見抜けない、、、

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