何かに集中している時自分など居ない

TVゲームに夢中になっている時に自分を意識している子供はいない

何かに夢中になるのが気持ち良いのは、、その時だけは自分を完全に忘れることが出来るからです。この体の中に自分が居るという錯覚が抜け落ちます。ではその時は誰がいるのか、、現象が起きているだけです、つまり現象の揺れ動きしかありません、もしくは手の感覚、足の感覚、肌の感覚はあるかもしれません、ですがこの「手」「足」「肌」という存在は忘れています、夢中になってゲームコントロールをしている子供がボタンを押す際に、、手が押しているなどの感覚はありません、ただ感覚だけがあります。

ボールを夢中で蹴っている少年の場合

サッカーに夢中になるのが楽しいのは「自分」を忘れることができるからです。サッカーに夢中になりながら自分をしっかりと意識するのは難しいものです。自分が今ボールを足で蹴った、自分が今敵を抜き、相手からボーールを奪ったなど思考が湧くことはありません、、ただボールの感触、地面を踏む感触があるだけです。世界から名前が消え去ります。この時少年は現象そのものになっています、感覚そのものになっています、、色そのものです。

活躍すると自分がそれを所有する

サッカーをしているだけで楽しかったのに、、活躍して周囲から褒められたら最後、、褒められた「自分」がにょきっと登場します。全体、現象、感覚に溶け切っていた状態から「自分」に戻ってしまいます。すると一緒に苦しみが湧いてくるのです。サッカープレイ中は至福そのものだったのがインタビューを「自分」を受けた瞬間この体の中に閉じ込められ牢屋に打ち込まれ苦しみが同時発生で起こるのです。至福から孤独への強制返還です。

もう自分に戻らない

サッカーで活躍しインタビューを受けるならば、、、先ずインタビュアーのことを現象と見抜くことです、そしてインタビューを受ける際は「自分」をしっかりと演じるという自覚を持つのです。どれほど褒め称えられても「自分」を演じそこにのめり込まないことです。ただ役割としてこの現象界を乗り切ります。そしてインタビューが終われば自分など忘れてしまい現象と共に在るようにします。つまり全体に戻るのです。

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