自分活動が非常に疲れるのは記憶と一体化しているから

PCが重くなっていくように自分も重くなっていく

マリオはどのステージに進んでも行動が重くなることはありません。マリオはステージを変えていっても何かを背負っていくことは基本ないでしょう。ですがこの自分は経験を重ねていくた度に記憶が増えていき何か新しいチャレンジをしようとすればその記憶が作動します。何をしようとしても記憶の照会作業が始まり過去にはこういう失敗があったなど思考がグルグル回転します。さらにその時の記憶から感情が湧き出しその感情にも振り回されるという始末。大人になると気軽なチャレンジができなくなるのはこのためです。子供の頃はなんでもやってみたいで実践できたのが、大人になるとやってみたいの後に記憶に裏打ちされた情報が脳内を飛び回り結果やらないという思考が湧いてきます。何かを始める前から異常に疲れるという始末です。

一年間を通じて結果何もチャレンジできなかった、、となる

人間ゲームにおいてこの自分は記憶を溜め込んでいきます。これまでの何十年間分の記憶が溜まっているわけです、結果何か新しいことをしようかなとアイデアが湧き上がってもこの記憶からあらゆる感情、思考が湧き上がりグルグル状態に。そのまま疲れて何もしないが継続します。年々何もチャレンジできなかった傾向が強くなっていきます。そして最終的には何もチャレンジしないのがデフォルトになります。好奇心は消え去ります。

記憶を頼りにすれば結局何もしなくなるのが分かったら

人間ゲームにおいて記憶を頼りにすれば確かにこの体を安全に維持できる可能性は高くなります。ですが安全を確保した結果として人間が人間ゲームをプレイしている間は不足感が解消することは絶対にありません。安全だろうと危険だろうと不足感は絶対に無くならないのです。この二元の世界、ゲームの中で人間としてのゲームが継続する限り快楽も苦悩も不足感の根本解消にはならないのです。それが分かってきますと記憶を頼りに思考や感情に振り回されてもあまり意味がないことが分かってきます。マリオ同様にゲーム上は安全にプレイできてもそれが根本解決とは何も関係がないのです。身も蓋もない話ですがマリオも人間も記憶を頼りにこのゲーム上で上手く立ち回っても不足感、分離感、退屈感という罠から抜けれることはありません。このメカニズムを理解してキャラクターからプレイヤーに、プレイヤーからクリエイターへのシフトが大切です。

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