恋愛をするのは自分を忘れるため

没頭する対象を見つけたいのは自分を忘れたいから

人が次々に恋愛の対象を探すのはなぜでしょうか?それは自分を忘れるほどの恋をしたいからです。自分という感覚を忘れてしまうほどに相手に夢中になりますと自分感覚が薄れ幸福が溢れてくるのです。だから人は夢中になれる人を探すのです。ですがこれには大きな落とし穴があります、それは延々に夢中になることはできないということ、、相手は根源の動きによって次々に変化していきます、要は自分にとって都合の良い行動を取り続けるなどありえないからです。そして慣れてきて自分感覚が蘇ってくると相手が素敵に見えなくなるのです。自分というフィルターによって完璧だった相手が不完璧に見えてきます。

恋愛に賞味期限があるのは、、、

自分自身も根源からの現れであり、相手も根源からの現れです。それぞれの行動は根源の現れですから先の動きは全く分かりません。離れるが起これば別れが来ます、すれ違いが起これば別れがきます。延々に一緒にいる方が難しいのかもしれません。全ての別れは全自動で起きます、ここに約束などは全く役に立たないのです。ですから別れが来てもそこで苦しむのは勿体がない、悲しみは湧くかもしれませんがそれだけ、、悲しみが湧き続けることもないのです。そして悲しみが湧くことに苦しむ必要はありません。

結婚離婚に良否はない

結婚が素晴らしく離婚は良くないこと、これは自分という感覚が勝手に決めた判断です。実際には結婚も根源から起こり、離婚も根源から起こりますから全部愛です。結婚も離婚も愛の表現でしかないのです。離婚が愛の表現とはどういうことか??つまりそれぞれの行動は愛の表現でしかないのですから離婚も愛の表現なのです。そうなると浮気も愛の表現なのか?ということになりますが当然そうなります。

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