海であることを忘れた波は評判を気にする

他人(波)にどう思われているかで自身の幸福度を決める

周りから「あの人は凄い会社に入ったね」、「綺麗な彼女を持っているね」「凄い家に住んでいるね」これらの評価をされることで、、このな評価を受けているならば自身(波)は幸福なんだろうと結論づけます。逆に「自分が入った会社はダメな会社らしい」「評判が悪い人をパートナーにしてしまった」「自分の趣味はセンスが悪いらしい」と周囲から低い評価を受けていると、、ということは自分の幸福度は低いと結論づけます。自我は他人との比較で自身の幸福度を決めるのです。これはなぜかと言えば圧倒的に不幸だからです。不幸だから周囲に言われて幸福か不幸かを自身で決めつけているのです。圧倒的に幸福であれば周囲に何を言われても自身の幸福度が変化するわけがないのです。不幸の中でどのぐらい不幸かの基準を作っているだけなのです。自分自身が海であることを忘れ波だと勘違いしている時点で常に不足感、欠乏感が湧いてきますから基本は不幸です。このメカニズムを理解しないと不幸同士でランキングをしてお互いを縛りあっているという地獄絵図が始まります。

インスタグラムで周囲から高評価をどれだけ受けれるかを気にする

インスタグラムなどSNSにハマっている人は周囲からどのような評価を受けるかを気にします。周囲からいいね!がたくさんつけばどうやら自分は充実しているらしいと判断し、いいね!が少なければ最近の自分は充実していないなと判断します。海であることを忘れた波は欠乏感、不足感が常に溢れてきますから海であった時の満足感、安心、安堵の代替品として周囲から評価を餌にしようとするのです。ですがこれらの餌は一瞬で消えてなくなりますからまた次の日も人の評価を取りに行くのです。海の安心、安堵、歓喜の代替品を延々と求め続けるのが波の誤解、間違い、原罪(的を外す)です。

SNSを楽しむべきではないのか

ではSNS流行るべきないのか?そうではありません。SNSも遊びの一つですから嫌悪するべきではありません。ですがなぜ人がSNSにハマるのかというメカニズムを理解してその上でやるならば問題はないです。SNS、友人付き合いにおいて人の評価を得ようとするメカニズムを理解せずに延々とそれに興じても常に虚しさが残るのはそれらが海(全存在)の代替品であること、そしてこの代替品は代替品ゆえに海(全存在)の穴埋めにはなっていないことを理解することです。ですが周囲から評価された時に一瞬の満足感、周囲から称賛された時の一瞬の安堵感、、、これらは本物です。目的(対象)を手にした時(波)に一瞬自我が消えてなくなります。この瞬間の安堵は本物です。自我が消え一瞬海(全存在)に戻ります。ですがこの一瞬をひたすらに追いかけても虚しいし疲れます。この一瞬で得た海(全存在)の安堵、歓喜、至福を延々とするための理解が重要になります。

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