海であることを忘れた波は死ぬ前に「もっと色々やっておけば良かった」と言う

波は全知全能、完璧に憧れるが、、、海は無知無能、不完全に憧れてこの世を作った

全知全能、完璧な存在である海がなぜ海であることを忘れた波を作り出した(自我)かと言えば無知無能、不完全を体験するために決まっています。全知全能の海がなぜ波としても全知全能を体験するのか、この波は無知無能を体験するための道具であり、ゆえのこの道具は全知全能を憧れはするが絶対にそうなれません。海が作ったこの世界、現象界は無知無能な波体験をするためのステージです。だからこそ上手くいかないのが当たり前、最初から全て上手くいくならこの現象界の価値はありません。

大失敗最高、不安、飢餓最高、、、これが海の本音

全知全能の海がわざわざ無知無能体験を積むために波を作り出したのですから波体験は失敗続き、七転八倒続き、苦多くして楽なし、、これが基本です。そのような失敗続きの中で波が無心になって物事に取り組めるようになった時に結果はともかくとして集中できること、無心に慣れるその状態こそが至福であることにある時気づきます。大失敗したにも関わらず心が完璧に晴れた状態、無垢の状態があることに気づくのです。無心になって真剣に取り組んでおる時に思考が抜け落ち神を味わいます。この時人間はこの見えるだけの存在ではないことに本質が気づきます。と言うよりも本質になり切ることで本質に戻ります。これが小さな悟りです。

物事の結果に拘っても波は常に飽きる、そうではなく結果に執着することで波が海になればいい

波を波たらしめているのはこれが自分だという思考です。この思考が抜け落ちたちきそこには波と海の境界線はありませんから海しかありません。海=至福、完璧、安泰、歓喜です。人間は思考が抜け落ちればいつでも全存在、ワンネス、神になるのです。ではどうやって思考を抜け落とすのか?それは真剣に物事に打ち込めばいいのです。全てにおいて無心になってことに当たればいいのです。結果に拘ろうと、結果に拘らなくても無心になることに集中すればいいのです。その瞬間思考が抜け落ち、これが自分という思考も抜け落ち、波は海になり、人間は全存在、神、ワンネスになります。

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