切り抜かれたこの体を分離したと錯覚するメカニズム

PC 画面の中の切り抜き

我々はPC画面上の切り抜き画像です。PCに突如現れ切り抜かれました、それまでもこの体は存在していますがそれは一つの画面の中でのこと、そこからこの体だけが切り抜かれ完全独立した存在ということになりました、この切り抜きが独立分離していると認識できるのは思考の影響です。思考というプログラム言語がそう意識させます。これによって湧いてくる思考、感情をこの切り抜き画像が自分のものと所有していきます。これも全部言語、プログラム言語の為せる技です。そしてこの切り抜き画像が経験したことも個人の経験としてデータ蓄積されていきます。

見ている世界は価値観というプログラムによって変わっていく

価値観というのは思考の集積です、この価値観はプログラム言語化されて脳内で見える世界が書き換えられていきます。見た目が重要という価値観が形成されると眺める世界を見た目という判断で見れるようになります。人間の見た目が特出してその人の脳内で顕現化するようになります。背の高さが重要という価値観があると見える世界に登場する人間の背の高さが特出して写るようになります。人種問題に敏感であれば見える世界に映る人間の肌の色が特出して見えるようになります。

PCの中を個人として動くのは大変

この仕掛けを理解していないと個人はPC上の中をただひたすらに動き回るようになります。なぜならばこのPC内に個人として居るのは決して居心地が良くないからです。なぜならば個人、私、自分が居るというのはプログラム言語の為せる技で事実ではないからです。あくまでこの私は作り物です、幻想です。PCゲームの中だけの存在であり本当の自分ではないからです。時間空間も幻想なのは、、、PCゲームの中に自分がプログラム化されたから誕生したからです。自分がプログラム化されなければ時間も空間も本当はありません。

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