目の前にピカソがあるか落書きがあるか

悟りとはこのこと

ピカソとは目の前の生命現象を生命現象のまま絵にしました。ゴッホも目の前の生命現象を英明現象のまま描きました。モーツアルトも神秘的な音色が頭の中を流れそれを楽譜にしました。いずれも目の前の生命現象に気付いていたかいないかの違いです。我々人間は生き抜くためあらゆるモノに名前をつけまくり、自身の中は思考フルスロットルにして、、生命現象を切り刻み尽くして見ています。ピカソの絵が落書きに成り下がるまで切り刻んで見ているのです。

切り刻み方が異常になると自死を考える

この切り刻み方が異常レベルになると人はうつ病になったり自死を考えるようになります。考えれば考えるほどにこの生命現象を切り刻むことになり世界は重く曇っていくのです。思考の恐ろしさを知らない極限状態です。人は苦しければ苦しいほどに思考の入り込みます、これによって世界はより重く曇っていくのです。その世界では何をやっても面白くない、、こんな人生を続けて何か意味があるのか?となります。

思考は放置する

思考の凄さは、、、ピカソの絵が落書きに見えてしまうとこまで生命現象を曇らせることができることです。これが思考です、これでも思考を信用しますか、これでも思考を使いますか、これでも思考と一緒に生きていきますか、、となります。思考とはこの全体、神、ワンネスを切り刻んで切り刻み体験をするための道具です。どこまで切り刻み体験をするか??そこは注意が必要です。

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