完璧でしかないこの世に不満を持つための道具「思考」

完璧が不満を持つためには「思考」が必要だった

我々の本質は完璧です、完璧しかありません。ですから今見える世界の本質も完全に完璧です、本質は。ですが実際には今完璧に映っていないはずです、完璧に。完璧である本質がなぜ今完璧に見えないのでしょうか?その答えが「自分」と言う存在の出現です、自分という存在が現れるとこの完璧な世界が完璧に見えなくなるのです。そしてこの自分を維持する機能こそが思考です。

思考が湧きそこにしがみつく

先ず大前提として見える世界が不完全に見えます、完璧に見えません。なぜ不完全に見えるかと言えばそれは思考がそのように見せているからです、自分に。そこでそこから思考が湧いてきます、こうすれば完璧のなるかもよ、仕事を変えたら完璧になるかも、パートナーが出現したら完璧に見えるかもよ、、、この思考に人間は直ぐにのっかります。そこからは思考に延々と引きずられていく、、この思考こそが自分の正体です。そしてこの自分の存在こそが完璧な世界を完璧では見えなくしています。

思考を手放すと

思考を手放すとどうなるか?そこには五感の感覚しかありません、それでも最初は不満足な世界に見えるかもしれません。そこで思考がわいてきます、こうしたらああしたらと、、でもそれを無視します、放置します。すると思考が湧かなくなります。これを繰り返します。するとまさかの見える世界が輝いてきます、不完全が不完全ではなくなっていきます。見える世界は完璧になってきます。思考の出る幕を止めていたら安堵が込み上げてきます。

(Visited 3 times, 1 visits today)